アイデンティティ水野の【ジブんデザいん】Blog〜人生のデザインの仕方

Life can be designed. 人生をデザインしようぜ!どうしようもなく生きづらい自分を、どうにかしようともがいていく中で見つけた、自分の人生を自分でデザインする方法論、とかとか。

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せめて、自分のちょこっとの努力で投票率低下の阻止ができたなら

お恥ずかしい話ですが、20代の頃、(あんまりよくは覚えていないんですが)選挙って行ったことないんじゃないかな。覚えていないし、記録にも残らないから確かめようがないんだけど、少なくとも会社員として働き始める27歳より以前は、選挙に行ったことない人だったと思います。

 

面倒くさい。選挙に行って、何が変わるのか。自分の1票が何かしら意味のある物であるという意識が全くもてなくって。まあ、行っても行かなくても何も変わらないのだから、面倒くさいから行かないでいいや。政治のことなんかより、この生きづらい世の中で生きていくのに必死なんだよ、僕は。というのが、おおざっぱな20代の頃の彼の言い分です。

 

ときは流れ、30代以降は、社会人であるという意識だったり、結婚して自分が世帯主になったりで、しっかりせねばと思ったんでしょうね、選挙に行くようになりました。ま、それでもお恥ずかしい話、政治のこと、選挙のこと、政党のこと、候補者のこと。ほとんど何も分かっておらず、まあ選挙にだけは行っている状態なわけであります。

 

そこにある意識としましては、せめて、自分のちょこっとの努力で投票率低下の阻止ができたなら、というものでして。まあしかし、1人が投票をしなかったことによる投票率低下ってどのくらいなんでしょう、0.000・・・1%???別に、目に見えるほどの数値変化は起きないことは分かっていながらも、さっき、脱毛サロンに行った帰り、20時前ギリギリくらいに投票を済ませてきました。

 

がんばりました。投票率低下をほんのわずか阻止しました。自分で自分を褒めたいと思います。あ、話は変わるんですが、「選挙」と聞くと思い出す歌があって、モーニング娘。のずいぶん前の歌なんですけど、

 

選挙の日ってウチじゃなぜか投票行って外食するんだ(ザ☆ピ~ス!

 

このフレーズが何故か印象に残っていて、つんくさんのセンスをすごく感じたのですね。エンターテイメントと社会性が共存しているような気がして。選挙が、面倒くさくて無意味なものじゃなくて、楽しいイベントになったら、それはそれで良いことのように思います。

 

ああ、そう、あと一つ。これも、ずいぶん前から思っている選挙についての疑問。選挙戦という言い方があるように、ニュースは選挙を「戦い」と表現していて、候補者の方に、「きびしい戦いですが、いかがですか」というインタビューしていたりして。この「戦い」という表現に違和感を感じてしまうんですが、これいつの頃からなんだろうなあ。

 

なんで違和感があるのかっていうと、たぶん、みんなのために政治を行うみんなのための政治家を選ぶのだから、戦いできめるんじゃなくって、話し合いで平和的に決めたらいいんじゃないの?っていう意識が、自分の中にあるからだと思うんですよね。ま、さすがに、そんな理想論ですよね。

 

やっぱり子供の頃なのかなあ。大人の事情なんて知らない子供の頃に、理想論の中にある平和的解決をひとり妄想していたんだと思います、水野少年は。

 

言いたいこと言い合って解決しようなんて楽天的すぎるよ(黒い羊)

 

現実は、そんな透明で、理想的な論理展開は通用しない。清濁併せ持ったきびしい世界なんだ。

 

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