アイデンティティ水野の【ジブんデザいん】Blog〜人生のデザインの仕方

Life can be designed. 人生をデザインしようぜ!どうしようもなく生きづらい自分を、どうにかしようともがいていく中で見つけた、自分の人生を自分でデザインする方法論、とかとか。

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深夜のパッカーン体験☆愛は音楽だったんだ

涙が あふれてきた
なんで ぼくが 音楽が好きなのか
出口のないトンネルの中 20代のぼくが
なんで あんなにも 音楽を求めたのか
その理由が さっき わかった

 

涙が あふれてきた
音楽に くるまっているような 安心感
頭のあたりで鳴って 身体まで優しく
つつんでくれるような 音楽

 

不安だったんだ 毛布を探していた
包んでくれるものを 探していた
20代のぼくは つつんでくれるものを
ひたすら探し求めて 音楽を聞いた

 

不安だったから 不安でしょうがなかったから
ひとつの音楽に飽きると 次の毛布を探した
当時の自分が かわいそうに思えたのかな
涙があふれて 止まらなかった

 

音楽は 母の胎内を 再現していたんだ
安心できる つつまれている感覚
母から引き離された不安を すべての人がもっている
だから音楽は 求められ 愛されるんだ

 

音楽は 母から引き離された すべての人を
あたたかくつつんでくれる 毛布のようなもの
そうだったのか そうだったんだね

 

Music is Love♡

 

 

***

 

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なんだろう。
これが、パッカーンなのか。
いわゆるひとつの、パッカーンなのか?!

 

誰かのために。
自分が自分がじゃなくて。
我を捨てて。
誰かのために。

 

たぶん、わかりかけてた。

 

 

 

いつぐらいからだろう?
自分のやりたいことだけやってりゃいい、って。
特に不満ないんだよって。
粋がってたんだろうな。
完全に間違ってたんだ。

 

貯金があったの、いつだっけ?
それから好き勝手やって。
フラフラしてても生きていけるなんて言ってた。
そりゃ、当たり前だよ。
貯金で暮らしてるんだからさ。

 

そんなことにも気づかずに。
塾で先生に腹おどりをさせられて。
自分のことしか考えてないだろ?って。

 

それでも、まだ半信半疑だったんだな。

 

 

 

その次に、あっちゃんだ。
声紋分析だー!なんて、はしゃいで。
目につくななんて思ってた。

 

でも、何かのタイミングで、アプローチしたんだ。
自分の我をそいで、「ぼくもまぜて」って。

 

それで、自分の声を分析したんだ。
自分軸と他人軸。
You & Meだったんだ。

 

そのときも、これまた、半信半疑だったんだな。

 

 

 

でもさ、何かが変わったんだよ、深いところで。
人のために自分の力を使うのが、苦じゃなくなった。
なんだか、心地よいとさえ思えた。

 

それで、無料人生相談なんてやってみた。
丸一日つぶして、無料で9人の相談にのった。
まったく、苦じゃなかった。
それどころか、うれしい、ありがたい。

 

これなら、いつまででもやっていられる。
そんな感覚さえ、感じられた。

 

 

 

最近読んでいる本で、天外伺朗さんの瞑想の本。
すべての人が、同じトラウマを抱えている。
母親の胎内から無理やり引き離される、心地よさからの離別。
そんな情報も、一役買っていたのだと思う。

 

書籍の中では、瞑想の体験談が書かれていた。
瞑想中に、涙があふれて止まらなくなると。
ちょっとやり方違うけど、瞑想的なものに入ってたのかな。

 

 

 

決定的だったのは、昨日だったのかも。
バイクの納車の日だった。

 

調子に乗っていたぼくは、バイクを買った。
50ccだけどね。

 

がんばんなくても、お金はちゃんと入ってくるからさ。
って、嫁さんにも言って。
気持ちよくバイクの代金をお支払いをした。

 

 

 

それでさ、月末のお金の処理をしていて、気づくんだ。
あれ、お金ぜんぜんないじゃんって。

 

ここのところ、調子に乗ってお金を使ってた。
仕事も、自分のしたいことしてりゃ、入ってくるって。

 


なくなってみて、はじめて気づく。

 

なんだ、その映画みたいなセリフは、って思うでしょ。
ホントなんだよね。

 

 

 

それで、こんな言葉を思い出した。
「お金がなくなるのは、なにか、生き方が間違っているからだ」
って。

 

ああ、このときだろうな。
腹に落ちたというか、全身に染みわたったんだろう。

 

 

自分のために生きるんじゃない、誰かのために生きるんだ。

 

 

 

今日は、朝からあっちゃんに会った。
彼女がやっている声紋分析に、こうしたらどうか?と提案した。
見返りを求めずに。
ただ、純粋にそうしたかったから。

 

そのあとの、渡辺さんのところでも。
ネットショップの構築サポート。
今までのぼくなら、モヤモヤしてただろうな。

 

今日は気持ちよかった。
純粋に、人のために仕事ができて、うれしかった。

 

 

 

帰りは、雨だった。
50ccのバイクにカッパ着て乗って。
周りは車なのに、自分は生身だからさ。
スピードとか、雨とか、怖さとか。

 

車っていう箱に入ってたんじゃわからない。
実感を感じたんだ。
おおげさだけど、生きてるっていうやつ。

 

 

 

夕方に、花井さんに折り返しのTELをした。
そこでもやっぱり、言われた。
「頭で考えるんじゃなくて、目の前の人の気持ちに応えるといいよ」
って。

 

それに、塾長の考えも教えてくれた。
見込みがあるからこそ、きびしいフィードバックがきたんだって。

 

夜は、誰かのための仕事をたくさんした。
いつもなら、自分が自分が。
自分のやりたい企画を優先させてたのにね。

 

 

 

あっちゃんの声紋分析のシートをつくってた。
彼女のキャッチフレーズ「Be Lotus」が引っかかった。
レディオヘッドの「Lotus Flower」が頭に浮かんだんだな。
それで、ヘッドフォンを取り出した。
音楽を聴きながら、誰かのための仕事をした。

 

そこに、ヘッドフォンがあったからだ。
それは必然?偶然?

 

最近、ぜんぜんやらなかったのに。
そこに、ヘッドフォンがあったからだ。
久しぶりに、爆音で音楽をかけて、身体を揺すった。

 

 

 

マイブラで、次はなんだっけ。
数曲飛ばしたら、スーパーカーの「ANSWER」がかかった。
それで、身体が優しさに包まれた。
涙が出てきた。

 

あっという間の4分半。
また数曲を飛ばした。
スーパーカーの「Recreation」だ。
ああ、もう、涙が止まらない。

 

それで、詩を書いた。
それから、この文章を書いた。
まだ、ヘッドフォンからは、スーパーカーが流れ込んでいる。

 

 

***

 

 

あのときのぼくは 現実から逃避して
音楽にくるまって 寝ていた

 

あのときのぼくは 現実に目を向けず
想像の世界で 音楽を食べて 生きのびた

 

それでいいんだよ
それでいいんだよ

 

ああ ぼくにとっての愛は 音楽だったんだ

 

いまならわかる
いまならわかる

 

MOROHAに
「最後に握るのはマイク、じゃなくて人の手なんだ」
って言われて、自分を責めていた。

 

でも それでよかったんだ
それでもいいんだよ

 

ぼくにとっての愛は 音楽
つつみこんでくれるもの
母の胎内で 守ってくれているような

 

ずっとそばにあったんだ
愛は音楽だったんだ

 

 

2017/10/02 深夜に記す

 

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