アイデンティティ水野の【ジブんデザいん】Blog〜人生のデザインの仕方

Life can be designed. 人生をデザインしようぜ!どうしようもなく生きづらい自分を、どうにかしようともがいていく中で見つけた、自分の人生を自分でデザインする方法論、とかとか。

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もしあなたが周りと馴染めないと思ったとして〜普段から、孤独でいること。それはいいことだ

孤独はさみしいことで、辛いことで、できれば避けたく、孤独でいることを他人に知られることは恥ずかしいことである。・・・そうなのか?それは、単なる思い込みではないだろうか。などと、最近思うようになった。

 

僕自身の体験。孤独感というと大袈裟だけれど、疎外感というか、どこか自分は他の人とは違って、ひとりぼっちだという感覚が昔からあって。遡っていくと・・・そう、あれは、小学校に上がる前のこと。同い年の友達が家の周りに住んでいなくて、徒歩で15分くらいの、ちょっと下ってちょっと登った「どろだに」と呼ばれるところに住んでいた。

 

どうしてもあっちのどろだにチームに入りきれない僕。疎外感のようなものを感じている僕。こういった感覚が原体験として残っている。それが要因なのかわからないけど、中学〜高校くらいで、仲間に溶け込めず、友達がいないこと、一人でいることを恥ずかしく思った。そんな学生時代を経て、フリーター時代、社会人になってから、色々な集団の中に身をおいたけど、どこにいても孤独感が今も拭えないでいる。

 

と、ことさら「孤独感」と書いてしまうと、たぶん、おそらく、世の中的にはちょっと可哀想と言うような、心配される対象とみなされてしまうのではなかろうか。ただ、心配しないで欲しい。落ち込んだりもしたけれど、僕は元気です。

 

自分のことだけしか見えていないとしたら、自分の孤独感を恥ずかしいと感じたら、それは自分を責める口実になる。あとは、自分のここがダメだから、自分にはアレが足りないからと、自己否定を繰り返せばいい。でも、ちゃんと世の中のことを、他の人を見てみるとそれが間違いだったんじゃないかと気づく。

 

ちゃんと自分以外の人に目を向けてみると、みんな誰だって孤独を抱えているんだろうなと思う。いつも笑顔のあの人も、人付き合いの良いこの人も、友達に囲まれているように見えたって、どこかに孤独感を持ちながら生きているんではないだろうか。

 

人は、独りで生まれて、独りで死んでいく。

 

なんていう言葉をいちいち書いてみると、改めて思う。ああ、そうか、人との触れ合いっていうのはあたたかいんだな。僕は孤独な人間だけど、ずーっと独りではなくて。こうしてカラオケに付き合ってくれたり、チョコをくれたり、Facebookにコメントを入れたりしてくれる。それっていうのは、幸せと呼んでも差し支えないんじゃないかしら。今そんな風に思っています。

 

皆さんは孤独でしょうか。孤独はダメで恥ずかしくて避けたいものでしょうか。それとも孤独は豊かなものでしょうか。