ポエジー*ミズノケイスケの「IDD=アイディーしてる?」

【IDD=アイデンティティデザイン】その人らしさ、個性を何かしらの意図をもって表現しているさま。

勉強して覚えたことを、すべて忘れた時に残っているものが学びなんだろう。

ある日の朝、ふとこんなことを思いついて、でも出かけなきゃいけなかったので、駅に向かう途中の信号待ちでメモりました。

『勉強して覚えたことを、すべて忘れた時に残っているものが学びなんだろう。』

このフレーズ自体は、どこかで聞き覚えがあって、でも正確には思い出せなくってという状態だったので、調べてみたらアインシュタインの言葉だったようです。正確にはこんなフレーズのようです。

教育とは、学校で習ったことをすべて忘れた後に残っているものである。

その心はというと・・

学校で教わるのはなにも教科だけではない。学問の方法、教師との触れ合い、友情などいろいろである。受身的に教えられたことは身につかぬことが多いが、主体的に教わったことは身につくものである。学校で学んだことは社会に出たらなんの役にも立たない、学校で教育された社会の即戦力としての知識・技能などというものは底が知れている、といわれるが、どっこい学校で学んでいることは多いのである。 引用元:辞書辞典無料検索JLogos

僕の頭に降ってきたメッセージというのは、たぶんこういうことだと思います。

「勉強」を「記憶すること」や「知識を得ること」と位置づけて、逆に「学び」を「経験したこと」や「身につけたもの」というように対比させています。知識をどれだけ身につけても、人の頭の中に入ることはたかが知れていて、しばらく使っていなければ忘れてしまいます。でも、経験から身につけたことはなくなることはありません。

僕のメモには、ちょっと続きがあって、こんなふうに書かれています。

『勉強して覚えたことを、すべて忘れた時に残っているものが学びなんだろう。つまり、学びは変化、成長で、感じられるようになること。新しい神経回路ができること。』

経験して身についたことは、人を変化させます。その変化が、前に進んでいるものであれば、成長と呼んでも差し支えないでしょう。それと、「新しい神経回路」については、前の日に読んでいた「イシューからはじめよ」の影響でしょう。

有名な実験に「生まれたばかりの猫をタテ縞しかない空間で育てると、その猫はヨコ縞の千が見えなくなる」というものがある。その結果、その猫を四角いテーブルに載せると、ヨコ線である端が見えないのでテーブルから落ちてしまう。これは、これまで処理してきた情報が脳の回路形成そのものに影響を与えたケースだが、そもそも脳にとって「特定の情報処理ができる」ということは、「特定の意識が起きる」ことであり、それはすなわち「特定のことに関する情報処理回路が活性化している」ことに近い。

経験をして何かを身につけると、今まで見えなかったものが見えるようになる。意識ができるようになる。違った角度から見えるようになる。より細部が見えるようになる。鳥の視点で見えるようになる。

学びや成長って、新しい視点を得るための神経回路をつくることなのかもしれないなーと思いました。