ポエジー*ミズノケイスケの「IDD=アイディーしてる?」

【IDD=アイデンティティデザイン】その人らしさ、個性を何かしらの意図をもって表現しているさま。

見えないものの力を信じるか、見えないものの力を鼻で笑うか。水は答えを知っている、のか?

今日、ある方に「ミズノさんスピリチュアル方面に傾倒しているよねw」と揶揄されたばかりですが、またしてもこんな話題です。ある本との出会いがありました。豊橋のとある企業の社長さんとお仕事をした時の話、お蕎麦屋さんでの食事後に、僕がポロッと、人の心に興味があるともらしたら、こんな本を紹介してくれました。

水は答えを知っている―その結晶にこめられたメッセージ(著:江本勝)

さっそく、図書館に予約を入れましたが、その際にアマゾンのレビューをチラリ。評価は3.1。星5つと星1つがともに多く、間をとっての評価3.1のようです。いくつか引用してみます。

星1つのレビュー

・科学的にはあきらかに間違いだらけで、実験もどうやってやったのか手順がはっきりせず、トンでもの領域に達しています。

・最初から科学か非科学かで対立すると必ず「内容は良いじゃないか」と物理現象に関係のない個人的価値観に走る傾向が出てくる。まずはこの書籍類は波動ビジネスのための本であることを考える必要がある。

星5つのレビュー

・全ての価値観が変わる一冊。「波動」についての真実が書かれています。

・★1つの人のレビューを概ね読んだ。狭量としか言いようがない。哀れである。

と、バッサリ意見がわかれ、どうやら科学者は否定派、スピリチュアル好きは肯定派と、ざっくりそんな構図が見て取れます。

実物を手に取る

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ほどなくして、図書館からメールが届き、ほんの実物を手に取りました。深夜に、歯を磨きながらぱらぱらとページをめくる。そして、そこで映しだされている水の結晶写真に衝撃を受けたんです。

科学的かどうかじゃなくて感じられるものを信じる

アラーキーの花の写真をみて、なんでただの花の写真なのに、こんなにもエロさを感じるのだろう。とか、フランシス・ベーコンの絵を見て、お腹のあたりをざっくりとえぐられるような感覚になったり。僕は、科学的であるという頭で考えることよりも、身体的な感覚を大事にしたいんです。

頭は嘘つき、身体は正直ってことで、頭で考えたことなんて本当はどうなのかなんてわからない。(たとえ、現在の科学で証明できなくて、100年後の未来人から笑われるようなことだってあるかもしれない)のだから、考えることはちょっと距離を置きたいと思っています。逆に、「感じたこと」は、それが正しい感覚だと信じれる限りは信頼したい。

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「愛・感謝」と書いた紙を見せた水の結晶を、心から美しいと感じました。

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小学校で、児童たちが「ばかやろう」と声をかけた水の結晶は、おぞましく不快に感じます。

それは、頭で考えたことではなくて、身体が直接感じていること。僕にとっては、それがすべてで、それを道しるべに生きていこうと思っています。

あまり、ネガティブなことは書きたくないのだけれど、星1つをつけているこの方のレビュー。僕はこの方の言っていることのすべてに対し、真逆の感想を持ちました。

あまりにも内容が薄っぺらい。本書に対して好感を得た人は、著者の提唱する方法で水に言葉をかけることで本当に水が何か変わるか確認してみるといい。いかに無駄な行為であるかわかるはずだ。また、これに感動するような感性は持ちたくないものだ。(中略)さらに言えば、美とか、善とかいう価値観について、あまりにも無頓着である。対称形は美しく、非対称形は醜いのか?直線は美しく、自由曲線は醜いのか?ダイヤモンドは善で、黒鉛は悪なのか?(どちらも炭素からできている)こんなものに頼って善悪を捉える心の貧しさが一番の問題じゃないの?私ならば、子供に対して、こういうものは信じないようにと教える教材に使うだろう。

そんな中、丁寧な言葉づかいで真摯に反論を述べている科学者の方もいる。そういった方には、書かれていることの内容に関わらず、好感を持ちました。

「水からの伝言」を信じないでください