アイデンティティ水野の【ジブんデザいん】Blog〜人生のデザインの仕方

Life can be designed. 人生をデザインしようぜ!どうしようもなく生きづらい自分を、どうにかしようともがいていく中で見つけた、自分の人生を自分でデザインする方法論、とかとか。

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人はそれぞれ違った音程を持っていて、人と人とが共鳴するんじゃないかという考え方。

昨日も紹介した「水は答えを知っている」を少し読み進めました。すると、とても興味深いことが書かれていました。人の個性をドレミファソラシド、つまり音程にたとえているんです。

私は、波動と周波数という話をするときには、「ドレミファソラシド理論」という独自の理論をもって説明しています。ドレミファソラシド理論とは、どういうことなのでしょうか。とても簡単です。森羅万象すべてのもののもつ周波数は、ドレミファソラシドの7つに集約される、ということです。宇宙に存在するものは、周波数が低いものから高いものまで、無限に存在します。ピアノのように低いほうから順番に鍵盤が並んでいると想像してもらえばよいでしょう。ピアノの白い鍵盤をたたけば、ドレミファソラシドの7つのうちの一つにあたります。

波動なんていうと、インチキくさい匂いがしてきますが、事の真偽は置いておいて、これらのことからある着想を得ます。僕が、かねてから疑問に思っていた「なぜこの世には、何千何万というミュージシャンがいるのに、こんなにも響く歌・響かない歌があるのか」。また、カウンセリングの回を重ねるごとに感じる、「人と人との相性」についての答えのようなものです。

人の個性を音程にたとえ、次に「音の共鳴」というように話が展開します。

たたくと440ヘルツのラの音を出す音叉に向けて、同じ440ヘルツのラの音を声を出してぶつけてみると、音叉はひとりでにウォーンと鳴り出します。これが、共鳴です。同じ周波数をもつものは、一方が音を出すと、共鳴して音を出します。類は友を呼ぶということわざがありますが、同じ波動をもつものは引かれあい、反応するのです。(中略)人間関係をみても、同じ波長の人はお互い引かれあって、親友同士になっています。まったく違うタイプの人間は、どんなに近くにいても引きあうことなく、無関心でいます。もし、あなたのそばに嫌いだと思っている人が近づいてくるとしたら、あなた自身がその人とどこかで共鳴しているということなのです。

僕は、以前書いたブログで人を色鉛筆にたとえました。それに近い印象を受けたのですが、音と音との共鳴という発想により、さらにイメージがしやすくなった感じがします。

poesy.hatenablog.com

それから、こんなことを考えました。

あなたとわたし、同じ音程ならば、よどみなく音は奏でられ、音が増幅させる。オクターブ違いならどうだろう。こちらも、きれいによどみなく共鳴する。

わたしの音がルート音、あなたの音が+3度または+5度だったとしたら、ハーモニーを生む。または、仲良し3人組、ルート音+3度+5度、つまりド・ミ・ソのハーモニー。こちらもキレイに共鳴して、同じ音程同士では得られないハーモニーを生む。

ひるがえって、ドの音と、レの音ではきれいなハーモニーにはならない。人との相性ってのはそういうことなのかも。

思い返してみると、あの時のあの人との会話はめちゃくちゃ楽しかった(共鳴していた)なとか、あの時はギスギスした雰囲気で共鳴していなかったとか。プライベートの会話でも、仕事上の打ち合わせでも、そう感じる。初めて会ったのに、初めて会った気がしない。なんだか居心地がよくて、気をはらなくても会話が進む。こんな人とは、共鳴できる音程同士なんだろうな。

こんなことも思う。同じ音程や、ド・ミ・ソの関係でも共鳴しないことがある。音を出すことをやめてしまっている人。誰かと共鳴させる意識のない人。つまり人に合わせよう、一緒に奏でようという意識のない人。

誰かと、心が通い合う(共鳴し合う)には、一緒に奏でよう意識を持つこと。あー、バンドでもそうだった。一緒にいい音をつくりだそうってみんなが思ってなかったら、絶対いい演奏はできないもん。

それともう一つ。自分がどんな音を奏でるのかを、自分自身がわかっているか。自分の音を知っていますか?