「日々を丁寧に生きること」の意味が少しわかった気がする。
昨日の夕方こと。娘ちゃんを連れて、本屋さん→パン屋さん→交流館を回った。
娘ちゃんは、あの石をさわってみる!とか、タンポポの綿毛があった!とか、花を摘んでく!とか、寄り道ざんまい。
普段、大人は目的のことだけしかしないけど、こうしてみると寄り道もいいものだなと思う。
ここにきてようやく「日々を丁寧に生きること」の意味が少しわかった気がする。
でも、子どもはもう知っているのかも知れませんね。
例えば洗濯、例えば料理。そんな日々の仕事を、楽しく充実感のあるものにできたら。幸せの量は増えるのだと思う。それが毎日を丁寧に生きるということなのかしら。
— ミズノケイスケ@ポエジー (@akanerob) 2016年4月17日
「日々を丁寧に暮らすこと」のほんとうの意味が少しわかったような気がする。使い古された表現だけど、とっても大切なこと。
— ミズノケイスケ@ポエジー (@akanerob) 2016年4月17日
そして、仕事をお願いするなら、日々を丁寧に暮らしている人にお願いしたいし、商品やサービスを受けることでもしかりだ。
— ミズノケイスケ@ポエジー (@akanerob) 2016年4月17日
丁寧に暮らすには、心が落ち着いていること。以前は、常に嵐の状態だったからわかる。あの時は、いつも誰かを責めていた。いちばん責めていたのは、他でもない自分自身。
— ミズノケイスケ@ポエジー (@akanerob) 2016年4月17日
丁寧に生きるには、自分を知っていること。自分の得意なこと苦手なこと。自分の好きなこと許せないこと。自分にとっての幸せは何か。他人の価値観に左右されず、自分の内からわいてくる言葉で語れること。
— ミズノケイスケ@ポエジー (@akanerob) 2016年4月17日