娘からするとパパちゃんはそこに「いる」だけでいい。子どもは愛をわかっているの?
さてさて、またしても、パパちゃんの戯言日記。
ここのところキミは、「パパちゃんパパちゃん」と僕のことを慕ってくれ、「パパちゃん一緒に遊ぼう」とよく誘ってくれる。
「いいよ、何して遊ぼうか?」なんて言って遊びがはじまって、おままごとで作ったご飯を食べさせてくれたり、変身ごっこを一緒にしたり、擬似エレベーターに乗ったり、友達のクマちゃんを背中に背負わせたりして遊んでいるね。
たぶん、キミからすると、遊びに付き合ってくれるだけで満足なんだろうけど、どうもパパちゃん的には、「こんなことでいいのかしら、もっとできることはないかしら」と余計なことを考えてしまうんだよね。
で、遊びにアレンジを加えたりすると「ちがうー!」なんて怒られたりして。ちょっと小難しい話になるけど、パパちゃんはどうやら、そこに「いる」だけじゃダメで、自分で考えたことで価値付け足したいって思っているみたい。ハハハ。
ニーチェさんという人が、こんなことを言っていたんだ。
「そのままの相手を愛する。」
ただ「在る」だけでいいんだって。存在そのものを認めてくれるのが「愛」なんだそうで。
そういうことで言えば、キミはパパちゃんのことを「いる」だけでいいと認めてくれているのだね。
自分自身もそこに「いる」ことだけを生き、パパちゃんに対しても「いる」だけでいいと言ってくれる。
よけいな考えを差し挟む余地もなく、存在に集中するキミは、愛をわかっているのでしょうかー!?