メールのやり取りで人柄がわかる?文章って偽れる?という質問の回答
昨日のこと、僕のiPhoneのメッセンジャーに知人からこんな相談が入ってきた。
文章で、メールのやり取りで、相手の人柄ってわかるかな?文章だから偽れちゃうよね?
といった内容だ。なんでそんな質問を僕にするのだろう?といぶかしく思う反面、しめしめとも思った。たぶん、僕の魂はこの質問に答えたがっている。
メールのやり取りで人柄がわかる?っていうのは、イエスで、ある程度わかりますよね。
文章は偽れるよね?もイエスで、
心<頭<表情<言葉<文章
の順番に偽りやすいですよね。(抽象的になるほど、偽りやすい)
ってことで、お返事になってます?
という返事をしたのだが(原文)、僕は、この後半のくだりが大好きなのだ。
「ウソ」については、人よりは少し敏感であるつもりでいる。それは、僕はずっとウソをついてきたという自覚があり、それではダメだと自分を戒め、自分がウソをついていることとウソをついていないことはどういうことなのか?ということを、人より少し多く考えていると思うからだ。
自分の意思だったり、気持ちだったり、考えだったりするもの、これらをここでは思念と呼んでみる。相手への思念が自分の内で生まれ、それを伝えようとする時、具体的になるほど偽れず、抽象的になるほど偽りやすい。というように考えている、僕は。
心は、感情は、どうやっても偽れない。でも、頭なら?頭で考えることは偽れる。心はやりたくないと言っているのに、すべき、なければならないでやる。こういうこと。
表情はどうだろう。役者ならいとも簡単に偽れてしまうのだろうけど。ウソの下手な人は顔にでる。
言葉、話すことはどうか。偽っているのを見抜ける人はいる。ウソをついている人は早口になるとも言われている。
では、文字として書いてしまえば、偽るのは簡単そうだ。肉筆で書くよりも、タイピングをして、デジタルのデータになった抽象的な存在であれば、誰かを偽ることは一番やりやすい。
結論。
(具体的=偽りにくい)心<頭<表情<言葉<文章(抽象的=偽りやすい)
こんなんでましたっ。