アイデンティティ水野の【ジブんデザいん】Blog〜人生のデザインの仕方

Life can be designed. 人生をデザインしようぜ!どうしようもなく生きづらい自分を、どうにかしようともがいていく中で見つけた、自分の人生を自分でデザインする方法論、とかとか。

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娘からするとパパちゃんはそこに「いる」だけでいい。子どもは愛をわかっているの?

さてさて、またしても、パパちゃんの戯言日記。

ここのところキミは、「パパちゃんパパちゃん」と僕のことを慕ってくれ、「パパちゃん一緒に遊ぼう」とよく誘ってくれる。
 
「いいよ、何して遊ぼうか?」なんて言って遊びがはじまって、おままごとで作ったご飯を食べさせてくれたり、変身ごっこを一緒にしたり、擬似エレベーターに乗ったり、友達のクマちゃんを背中に背負わせたりして遊んでいるね。
 
たぶん、キミからすると、遊びに付き合ってくれるだけで満足なんだろうけど、どうもパパちゃん的には、「こんなことでいいのかしら、もっとできることはないかしら」と余計なことを考えてしまうんだよね。
 
で、遊びにアレンジを加えたりすると「ちがうー!」なんて怒られたりして。ちょっと小難しい話になるけど、パパちゃんはどうやら、そこに「いる」だけじゃダメで、自分で考えたことで価値付け足したいって思っているみたい。ハハハ。
 
ニーチェさんという人が、こんなことを言っていたんだ。
 
「そのままの相手を愛する。」
 
ただ「在る」だけでいいんだって。存在そのものを認めてくれるのが「愛」なんだそうで。
 
そういうことで言えば、キミはパパちゃんのことを「いる」だけでいいと認めてくれているのだね。
 
自分自身もそこに「いる」ことだけを生き、パパちゃんに対しても「いる」だけでいいと言ってくれる。
 
よけいな考えを差し挟む余地もなく、存在に集中するキミは、愛をわかっているのでしょうかー!?
 
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