「ありがとう」の反対は「あたりまえ」。そして「あたりまえ」が「ありがとう」だ。
少し前、こんな記事をネット上でよく見かけました。 なるほどね、なんて多くの人に拡散されていました。
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あなたは「ありがとう」の反対を知ってますか?
ありがとうの反対語など今まで考えたこともなかった。
教えてもらった答えは・・・
「あたりまえ」
「ありがとう」は漢字で書くと「有難う」 「有難(ありがた)し」という意味だ。
あることがむずかしい、まれである。 めったにない事にめぐりあう。
すなわち、奇跡ということだ。
奇跡の反対は、「当然」とか「当たり前」
我々は、毎日起こる出来事を、当たり前だと思って過ごしている。
歩けるのが、あたりまえ。
目が見え、耳が聞こえるのが、あたりまえ。
手足が動くのが、あたりまえ。
毎朝目覚めるのが、あたりまえ。
食事ができるのが、あたりまえ。
息ができるのが、あたりまえ。
友達といつも会えるのが、あたりまえ。
太陽が毎朝昇るのが、あたりまえ。
うまれてきたのが、あたりまえ。
夫(妻)が毎日帰ってくるのが、あたりまえ。
そして…
生きているのが、あたりまえ。
以下略
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ホントそうだよなーなんて思いつつ、ちょっと別の角度から考えてみました。
仕事でもなんでも、「あたりまえ」のことができていないことってよく耳にします。
ビジネスシーンなら、「お客さんのために、なんていう当たり前のことができてない」とか、僕らの業界なら「使う人のためになるホームページを作るのが当たり前でしょ」とか。
そんなことを考えると、「あたりまえ」ができてこその「ありがとう」なんだなーと思うんです。
最近よく感じるのが、プロと名乗ってお金をとっていても、「あたりまえ」ができていない人がこの世にはいるんだってこと。
要望がちゃんと汲み取れず、希望の髪型をつくることができない美容師。 見た目だけはいいけど、機能しなくて、その会社のビジネスに貢献しないホームページを作っちゃうウェブ制作者。 話を聴くことができず、自分の売りたいものだけを勧めるだけの営業マン。
仕事をする上では、「あたりまえ」ができなかったら、そこには「ありがとう」はなくても仕方がないのだと思う。
「ありがとう」の反対は「あたりまえ」であり、「あたりまえ」が「ありがとう」だ。