私は存在しない=「空思想」と、私は何者?=「アイデンティティ」の矛盾について
先日の陰陽五行論塾で「空思想」の解説をしていただきました。
空=くう、空(そら)ではなく。食う思想でもなく(笑)
すべては、変わりゆくもので、不変なものはひとつとして存在しない。
だから、「わたくし」なんというものは存在しないのだ、と。
これは、ぼくにとって衝撃的なニュースであるのです。
アイデンティティ=わたしとは何者であるか?を追求している身としては、「わたし」はないんだと言われてしまっては、どうにもこうにも。
しかし、捨てる神あれば拾う神あり、グッドニュースも同時にやってきます。
「わたし」はいない、ただ「関係」だけが存在するのだと。
そして、「自我」の世界は「対立」を生み、「無我」「無私」の世界では「関係」を生むのだと続きます。
なるほど!人間というものは、ただひとつの「わたし」は存在しなくて、「ある関係におけるわたし」が無数に存在しているのだ!
これは、ぼくが今後「アイデンティティ」などどいう、よくわからないモンスターを仕事にしていく上で、希望とも言えるものでした。
「自我」を捨て、「無私」になることで関係が生まれる。その世界では、自分の「役割」に徹することだけが求められる。
その関係の中での「役割」を言葉にし、ある意図を持って機能するように=デザインすることが、ぼくの仕事なんだろう!
と、なんだか自分でもややこっしいことを書いている気がしていますが(汗)
今日、ウェブ集客についての相談をご依頼いただき、自分の知見をお話してきました。その場における「わたし」は、目の前のお二人のためを想ってお伝えすることだけ、その「役割」に徹すればいいのだと。
もしかしたら、これが噂に聞くところの「今を生きる」ということなのかも知れないなと、そんなことも思いました。
小さな気づき、でもその積み重ねが道を進む原動力。そのきっかけに感謝!