【初ブログ】1・覚えやすく実践的な抱負を 2・言葉の山を登るのか!僕は! 3・混沌の2016年は人間の本質に立ち返る
2016年、初のブログを書こう!内容は3つ。
1・覚えやすく実践的な抱負を
2・言葉の山を登るのか!僕は!
3・混沌の2016年は人間の本質に立ち返る
1・覚えやすく実践的な抱負を
昨年末、2016年の「本当の決意」と称して、ブログにしたためた。
それを実現していくために、具体的に何をするべきか?シンプルに2つのポイントにまとめた。抽象的ではあるけれど、覚えやすく行動に影響を与えやすく実践的にまとめられたと思う。
【2016年ミズノケイスケの抱負】
1.たくさんのひととふれあう
2.たくさんつくってかたちにする
その心はというと、こう!
人とふれ合う
↓
本音に触れる
↓
何かを感じる
↓
かたちにする
※繰り返し
たくさんの人の心に触れる。または、人の本音に触れる。そして、感じたことをきっかけして、何かをつくり出しかたちにする。
つくり出すもののかたちは問わない。けど、主に言葉なんだろうな。会話の中で投げかける何気ない言葉、SNSへの投稿、ブログ記事、詩、誰かの人生のコンセプト、企業理念、ウェブページに掲載する原稿、セミナーのスライド、歌詞、歌…etc。
そして、できることならば、誰かの記憶に残る、力を持った言葉をつくりたい。
言葉は発せられてまもなく、風に紛れて消えていくけど、誰かの心に刻まれつづける言葉もある。そのためには、自分の本音を紡ぎだす、相手の懐に勇気を出して飛び込む。
2・言葉の山を登るのか!僕は!
いま、ちょっと恐れおののいている。たぶん、目指す山を目の前にして、その頂の高さにクラクラしている状態なんだろう。
僕が登りたい山は、たぶん「言葉」に関する山。
言葉を商品にしていく人なんだ。周りを見渡せば、言葉を扱うプロフェッショナル達、ものすごい人たちがわんさかいて。その中で闘っていくのか、僕は。
でも、方向性がわかれば後は努力するだけ。
1.歌詞でも、エッセイでも、ブログ記事でも、詩でも、質の良い言葉にたくさん触れて、自分の頭で咀嚼して血肉にしていく。
2.誰かが発する言葉に質問を投げかけて、その人の本質に近づいていって、その人だけの言葉を見つけていく。
3.自分の内側からあふれてくる思考や感情を、自分だけの言葉にして表現していく。
今までもやってきたことだ、これからもやっていこう。僕が意識しなくても、やれと言われなくてもやってしまうこと、不安はない。
3・混沌の2016年は人間の本質に立ち返る
最後に、新年明けて2日目、ウォークマンの生みの親、天外伺朗さんのメルマガを引用しよう。
リーマンショックから8年、東日本大震災から5年、世界も日本も間違いなく大きな変容を遂げてきた。
米国の影響力の低下と中国の台頭を多くの人が指摘したが、その中国のもだえが予断を許さぬ状況になり、簡単には読み解けぬ状況に陥った。そして何よりも、「国」という単位や「経済」という指標だけでは世界を語れなくなってしまった。また、ISとアルカイダの争いなどを見ると、「宗教」という切り口や、ひところ流行った「文明の衝突」という見方も色あせてしまい、何とも形容しがたい混沌とした世界情勢の中で2016年の幕が開いた。
その中で、日本はどうすべきか、我々は何をすべきか、企業経営はどこに向かって舵を切ったらいいのだろうか。
話は簡単! 人間として最も本質的な在り方に立ち返ればいい。
人間の本質は何か、人間としてどう考え、何をするべきか、企業の存在意義はどこにあるのか、企業経営はどうあるべきか、最も根本から考え、それを実行する。
東日本大震災と原発事故の後、政府、官僚、科学、科学者、マスコミなどに対する信頼が地に落ち、それを嘆く声を多く聞く。
でも、太古の昔から、ごくまれな例外を除いて、政治や政治家が信頼に足る存在であったためしはなく、政治の支配下にある科学者が清廉潔白であるはずはなく、スポンサーや政治家の顔色を窺わないと経営が成り立たないマスコミに、中立的な報道を期待するのは無理だろう。嘆いたり、戦ったりするより、自らの足元で、自らが行動できる持ち場で、人間として最も本質的な在り方を追求する方がよほど精神衛生上健全だ。
世界がいかに混沌の中にあっても、あるいは政治が自分の信念と違っていても、「自分ができる、最も本質的な行動」というのはゆらがないはずだ。だったら、それをひたすら実行すればよい。
引用元:「2016年・人間として最も本質的な在り方」天外レポート No.94(2016.01.02)http://www.officejk.jp/category/1327014.html
僕の目では、自分の周りの狭い世界しか見ることができないけれど、天外さんの高くて広い目線からすれば、2016年は混沌の年だそうで。そんな中、何を大切に生きればよいかというと「人間の本質に立ち返るべし」とのことだそうで。
その言葉とメッセージにとても共感した。目に見える表面的なことじゃなく、人間の奥の奥の方にあるものに視点をあてる。僕は、「人間の本質」の一つに「自分を知る」ことが含まれているんじゃないかと思っている。
相変わらず、自分を掘っていく作業は続けていくんだろうなあ。それこそ、死ぬ直前まで自分ってなんなんだ?って、答えのない問いをしていたい。自分ってなんだろう?という窓から、世界ってどんなところかを知ろうとしているんだろうな。