自己表現はエネルギーの贈り物だけど、破壊をともなう贈り物って場合もある。
自己表現という言葉に敏感な昨今。
本をパラパラしていたら、こんなメッセージが飛び込んできた。
「自分を現す三つの形」
自己表現とは自分の力を表すことでもある。その方法を大きく分けると、次の三つになる。
贈る。
あざける。
破壊する。
相手に愛やいつくしみを贈るのも、自分の力の表現だ。相手をけなし、いじめ、だめにしてしまうのも、自分の力の表現だ。あなたはどの方法を取っているのか。
〜フリードリヒ・ニーチェ〜
自己表現とは「自分の力」を表すこと。
だから、源となる力があることが前提だ。
エネルギーと呼んでもよいのだと思う。
エネルギーはどこから生まれるのか?
感情。
だよね?
感情をエネルギーにして、表現をする。
最終的に表されるかたちは人それぞれだろう。
こういった文章だったり、歌だったり、絵だったり、
写真だったり、身体表現だったり、服をまとうという表現もある。
で、この三つの形。
1.贈る。
2.あざける。
3.破壊する。
世に受け入れられている自己表現は、
たいてい「贈る」の形だろうか。
素晴らしい作品やメッセージに触れて、
エネルギーを受け取る人は多い。
「あざける」は、エネルギーの無駄遣いだろう。
エネルギーを負の力で、相手にぶつけるもの。
さて、問題は「破壊する」。
ネガティブなイメージとともなう言葉だけれど、
破壊があってこその「再生」というものだってある。
壊さなきゃ生まれなかった素晴らしいものってあるよね。
こないだのMOROHAのライブ。
力強いメッセージだった。
「贈っていた」んだと思う。
でも、メッセージが強すぎて、真っ直ぐすぎて、
目を伏せたい自分もいて、痛かった。
同じように思った人、いたんじゃないかな。
現実をちゃんと見なさいって、
自分だけの、本当の幸せを考えなさいって、
右へならえじゃダメでしょって。
破壊をともなう贈り物。
表現って、そんな形もあるものなのね。