アイデンティティ水野の【ジブんデザいん】Blog〜人生のデザインの仕方

Life can be designed. 人生をデザインしようぜ!どうしようもなく生きづらい自分を、どうにかしようともがいていく中で見つけた、自分の人生を自分でデザインする方法論、とかとか。

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人の「思う」「考える」を取り出せるか?ふたり以上の思考を混ぜるとどうなるか?

未来ってどんな世界になっているんだろう?って、想像したりするの好きな人もいるかと思います。僕はこんなことを考えたりします。

人の「思う」「考える」を取り出せるか?

僕が不思議でならないのは、この頭の中にいる自分というやつが何者なのか?です。意識と言うんでしょうか、自我と言うんでしょうか、彼が存在するから自分は存在していると言えるくらい重要な存在なのですが、あまりに曖昧で、たぶん姿が見えないからだと思うんですが。

そういった「思う」「考える」という頭の中の反応を、外部に取り出すことができるか?そんなことを考えたりします。

iPhoneのSiriは、話したことをデジタルのテキストデータとして変換してくれる技術ですが、その1歩先には、思考をテキストデータとして変換してくれる技術ができるんじゃないか!?そんな、淡い期待を持つのも、おかしいことではないのではないでしょうか。

僕のようなド素人的発想では、頭に三流SF映画で見るような電極をつけて、脳波というのかよく知らないですが、頭の中に流れている何かしらの信号を取り出して、解析して、見えるかたちに変換する。テキストデータだけじゃなくて、映像として浮かんでいるものを具現化できたらもっとステキだなーと思ったり。

仮にですよ、もしそんなことが可能だったら、ネクストステップとしてやってみたいこと。

ふたり以上の思考を混ぜるとどうなるか?

誰かに自分の考えを伝えること。大昔にはジェスチャーで、言葉が生まれ会話が生まれ、紙に文字を書いて。そして、ネットが生まれ、ウェブ日記が登場して、自分の考えを他人に伝えることのハードルが極端に低くなりました。しばらくすると、Twitterなんていう「つぶやき」を共有するサービスが生まれ、タイムラインを見ていると、誰かの「つぶやき」が、あたかも「思考の漏れ」に見えることがあります。

つまり、ある角度から見れば、思考の漏れを大勢に共有していると、そんな活動に見えたりします。

そんな「思考の共有」を飛躍させると、「ふたり以上の思考を混ぜるとどうなるか?」という発想が生まれます。

誰かと会話する時、頭の中にある思考を言語に変換して、話すという行為で伝えます。二人の頭と頭の間に、いくつもの変換行程があるので、情報の密度・スピードともにロスが生まれます。それを、まったく摩擦のない状態でつながったら、どんなことになるのか!?

まったく予想がつきませんが、今までに人類が体験したことのない感覚だと思うんです。

再び、ド素人的発想では、二人の人間それぞれに、三流SF映画で見るような電極がついていて、コードでつながれています。そして、博士と呼ばれる怪しげなおっさんが「いいか、はじめるぞ・・」とスイッチを入れた瞬間、二人の思考が怒涛のように混ざり合い、新しい反応が生まれ、社交辞令も、嘘も、ごまかしは一切通用しない意識のやり取りが行われ、なんだかよくわからないけど「うわぁぁぁぁぁっっっっ!!!」みたいなことになる。

と言ったところで、ハイ。今日の妄想タイムは終了です。

おしまい。