アイデンティティ水野の【ジブんデザいん】Blog〜人生のデザインの仕方

Life can be designed. 人生をデザインしようぜ!どうしようもなく生きづらい自分を、どうにかしようともがいていく中で見つけた、自分の人生を自分でデザインする方法論、とかとか。

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何かを生み出すエネルギーはどこから生まれるか?すべて「ひと」が原動力になるのでは。

少し前に、Facebookでのある人とやりとりをしていたら、「誰かを思わないと曲作りができないときがあるよ。」というフレーズが出てきて、あ、それアルアルって。僕も、その昔、同じことを思った経験があります。

「君といても心が動かなくって、歌詞が生まれないから・・別れよう」という恥ずかしい台詞を吐いて、当時付き合っていた彼女と別れたのはいい思い出です(謎)なんてことを、娘を膝の上に乗せながら書いているのは妙な気分ですw

「ひと」が原動力になるのか?

歌詞が生まれるということに限らず、心が動いて行動を起こすきっかけって、誰かからの影響が大きいと感じます。そんなことを考えていると、ちょうど坂詰圭吾さんがこんなことを言っているのを目にします。

正直に言えば、実際にサグラダファミリアを見た時に「こんなものか」と思った。(中略)ここは一回いけばもういいやと思う場所と、ここは繰り返し足を運びたくなる場所がある。この違いは何だろうか。おそらく「ひと」が何かしら関与しているような気がしている。会いたいひとがいれば、どれだけ僻地であろうとも人間は何度でも足を運ぶ。パエリアが美味かった、このパエリアをあのひとにも食べさせてやりたい、ここの景色が最高だった、この景色をあのひとと一緒に眺めてみたい、など、何かを見たときに思い浮かぶ「誰か」の存在が、再び足を運ばせる動機のひとつになるのかもしれない。引用元:【SVO-バルセロナ】神は「好きなように生きなさい」と言っている。 - いばや通信

すべての悩みは対人関係の悩みだって、アドラーは言っていました。ネガティブな感情はすべて対人関係から生まれるとしたら、ポジティブなエネルギーも、すべて対人関係から生まれるのでは?そんな考えが頭をよぎります。

例えば、もしそうだったとして話を進めますが、「ひと」から得たエネルギーの使い方で、表現のかたちが変わるのかも知れません。

誰かからエネルギーを得て、それをそのまま相手に返すというやり方。これはデザイン的なアプローチ。デザイン思考の考え方でも、「共感」がデザインの起点であると言っていたことを思い出します。

ひるがえって、アーティストは、誰かから得たエネルギーをその相手に返すのではなく、自己表現のエネルギーに変換しているのでは?

アーティストというと、自分の内側からエネルギーを生み出しているというイメージがあったのですが、いや、そんな器用な人はいないんじゃないかと思います。だって、誰だって食事をしてエネルギーを得ているのだから。エネルギーの元がどこかにあるはず。

アートも、「ひと」からエネルギーを受け取って生まれる。だとすると、色々なことのつじつまが合う気がします。