ぼくが死んだら、娘に何を残せるだろうか。
生と死、生きることと死ぬこと、看取ること。
そういったことをテーマにした映画を観ました。
「 死んだら終わり、何もなくなる」というのは大間違いなんだと、気づきました。
どれだけ、真っ直ぐに生きたか。信頼を積み重ねたか。
偽らず、本音でぶつかる。
生き様、生きる姿勢。
その結果、世の中に影響を与えたことが、残るもの。
この映画の監督のご主人、亡くなってはいるけれど、こうしてぼくはメッセージを受け取っていますもの。
ジョン・レノンは、本当に死んだのか?
死をテーマにした哲学イベントで、そんな話題が出ました。
ぼくが生まれて、1年後には死んでしまったジョンのメッセージを、もう何年も受け取っていますもの。
この映画を見て、死生観が変わりました。
死を、ひとつ違う視点で見られるようになりました。
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死んでも終わらないと知る。
死んでも、残っていく。
死は終わりかもしれないが、無ではない。
死はゴールじゃなくて、通過点。
死んで何を残すかをイメージしながら生きる。
目線は高く遠く、その先をイメージしながら、目の前を生きる。
日々、目の前の選択を、死のその先を見ながらする。
父がぼくに残してくれたメッセージがある。
では、ぼくは娘に何を残せるだろうか。
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「 死んだら終わり、何もなくなる」というのは大間違い。
どれだけ、真っ直ぐに生きたか。信頼を積み重ねたか。
偽らず、本音でぶつかる。
生き様、生きる姿勢。
その結果、世の中に影響を与えたことが、残るもの。
長谷川監督は、映画上映後の講演会で、題字に込められた意味を教えてくれました。
「いきたひ」この題字は「生死」ではありません。
生と死がつながってできています。
ふたつはつながっている。
生と死をわけてはいけない。
先人たちの死の上に、すべてがなりたいっている。
自己否定は、先人たちの否定。
いずれくる、自分の死の上に生がある。
死の否定は、自分の否定。
2年前の今日、父は灰になった。
最期の言葉は、「さみしくない」、ぼくにはそう聞こえた。
父からのメッセージは、まだ暗号みたいだけど。
そのうち見えてくるよね。
さあ、ぼくは、娘に何を残そうか。