大往生 - 身近な人の死にふれて、後悔しない人生を送りたいという意志を強くした
毎年、31日は、こうやってひとりの時間をもって、何かしらを書きつけているようだ。ひとり内省タイム。たぶん、それが好きなんでしょうね。
昨日、おじいちゃんの家を片付けていて、いまはもう、持ち主のなくなった品をひとつ手にとっては、袋に入れていくという作業をしていた。周りには、家族、親戚がいたけれど、それぞれ、おもいおもいの場所に手を付ける。
黙々とする作業はどんなものでも、自分と向き合う作業だと思った。
だから、書く時間もまた、自分と向き合う作業。
そんなわけで、この年の瀬という時期に、亡くなったおじいちゃんの家の片付けをしたものだから、昔の思い出に触れて、ノスタルジックな気分のヘンな年末です。
さっきなんて、おじいちゃんが生前書いていた日記を読んでいて、人生について考えてしまった。書かれていたのは、人の長い一生のうちの、わずかな断片だけど、そこには紛れもなくその人がいるのだと思う。
大往生(永六輔 著)
おじいちゃんの家にあったもので、気になるものをいくつかいただいてきた。
兄貴なんかは、レグザと書かれた薄型テレビと、古そうなDVDプレイヤー、そしてお米など、実用的なものをもらっていたのと比べると‥‥。こういったものは性格が出るものなのだな。
大往生。
おじいちゃんは、この本をどんな気持ちで読んでいたのだろうか。母方の方は、いろいろとややこしい問題があったよう。人間関係は複雑で、幸せな家族だけじゃない。
片付けの作業をしながら、こんなことが、ふと頭に浮かんだ。
時間は逆行していないから、人生は難しい。
未来から逆算して、人生を送ることができれば、後悔することはないだろう。もし、未来の自分が助言してくれたなら、後悔しないですむだろう。
でも、人間は、どうやら、未来に向かって生きるようにできているようなので、それは叶わぬこと。
もし、こうなるんだったら・・
もっと勉強しておけばよかった
もっとこの子を抱っこしておけばよかった
もっと遊んでおけばよかった
好きなことをやればよかった
勇気を出して打ちあければよかった
やりたいことをやればよかった
もっとわがままを言えばよかった
誤っておけばよかった
意固地にならずに仲良くすればよかった
そう後悔するのは、いつだって、ことがすんでしまってからだ。
想像力。
なんていうと、ありきたりだけど、前の時代を生きた人の声に耳を傾ければ、少しは未来も見えるかもしれない。
Imagine all the people.
ほらね、昔の歌にこうやって残っている。
ぼくは、自分らしく生きていこう、後悔しないように生きよう。そういう思いで、昨年春に独立した。
その矢先、夏に父が亡くなって、それから季節が1周、この冬におじいちゃんが亡くなった。
いままで、身近な人の死にふれることのない人生を送ってきたぼくは、ここにきて「死」を意識することになった。
それが、どういう意味かはわからないし、意味づけする必要もないんだけど。
このふたつの別れは、間違いなくぼくの意志を強くしていると思う。
人はぜったいに幸せになれるし、それはいつからでも遅くはなくて。
変わりたい、変わろうという勇気だけあればいいのだと思います。
そして、ぼくは、変わっていく勇気のある人たちと一緒にいて、その人たちの力になっていこうと思います。