文章を書く【自分自身を表現する】ことの本質とは?
36歳の誕生日の寒い日に強行で東京まで出かけて行き、そこからさらに電車に揺られて1時間、神奈川県の二宮で行われたイベントに参加しました。
あれから1周間、その時に感じたことの多くは、もう風の中に消えてしまったけれど、それでもたまに思い出す言葉があります。
その消えていったたくさんの言葉の中で、残った少しのものが地肉になるのだなと、改めて実感している今日このごろです。
言葉は風に消えていく
今日のこの言葉も
すべて風に吹かれて
消えていくすべて吹かれて
飛ばされて
残ったものが
僕をかたちづくる今日という日も
風に飛ばされていく僕たちはさあ
何を残すことが
できるだろう
僕は、イベントの中で、坂爪圭吾さんに一つの質問をしました。
日々自分自身をブログに綴っていく、自分自身を言葉という形で表現していくなかで、どんな手応えを得られているか?
未熟で稚拙な質問は、その場ではうまく伝わることはなかったのですが、ぎこちないやり取りの中でも、僕の中に残っている言葉。風に吹かれて消えていなかった言葉があります。
坂爪圭吾さん曰く、
腹の底にあるものがうまく出せた時に嬉しい。
自分を表現すること、言葉にするということは、そこに他人の目を一切感じずに、自分の腹の底にある思いや考えを、スッと出すこと。それができた時、理想的な自己表現の本質が叶うのではないか、そんなことを思いました。