いばや対談、壇上の3人(坂爪圭吾さん、芭旺くん、芭旺ママ弥生さん)から僕が受け取ったシンプルなメッセージ。
僕は彼(坂爪圭吾さん)のように書けるだろうか?
に対する答えは、おそらく否。
昨晩チャレンジして、あきらめて、途中かけでアップして寝て、起きてから思ったこと。
彼のように、腹の底から全てを表現する(彼は感じたものをそのまま書けた時に充実感を味わえると言っていた)、それをするには、僕の中にはまだ心配ごとが山積みだ。
心の中のわだかまり、「これは言えない」ということが、まだある。でも、それはそれでいいんだろう。物事には適切なタイミングがあるのだし、彼をすぐに真似てもうまくいくはずがない。
憧れはエネルギーに変えるだけでいい。焦りは敵だ。そうだよね。
いばやな人たちの対談
対談という名目のイベントだが、ハプニング(?)あり、参加者からの質問がメインとなった。それはそれでいいのだろう、予定通りに進めることに意味を持たないタイプのイベントだと思うから。
構図としてはこんな感じだったのだと思う。
(壇上)既成概念、社会の常識にとらわれず、自由に生きている人たち。
vs
(客席)既成概念、社会の常識を気にして、自由に生きられない人たち。
そして、
(壇上)既成概念、社会の常識にとらわれず、自由に生きている人たち。
↑↑↑(わたしもそうなりたい!)↑↑↑
(客席)既成概念、社会の常識を気にして、自由に生きられない人たち。
このイベントを見に来た人は、壇上にいる人たちの生き方に憧れている人なんだと思った(僕も含めて)。現状に満足できなくて、自分を変えたくて、なんだかぼんやり光が指しているあっちに行ってみよう、と。
聞きたいことなんか本当はないんでしょ?
わたしもそうなりたい!と、自由に生きられない人たちの質問に対して、壇上の自由に生きている人からのメッセージはというと・・。
・好きなことをするのに理由がいるんですか?(byバオ君)
・あなたが問題だと思っていること、私は何が問題なのかわからない。(byバオママ弥生さん)
・聞きたいことなんか本当はないんでしょ?(by坂爪さん)
と、一見冷たいようなメッセージ。でも、ハタから見ていて思ったのは、立っている場所が違うので質問が噛み合わないのは当たり前じゃないか、ということ。例えば、何かの勉強をはじめたての人と、10年勉強した人では話が噛み合わないのと同じことで(この場合、テーマは人生か)。
かくいう僕も、自分の中でもまとまってない質問を坂爪さんにして、会場を凍りつかせるという事件を起こしてしまったのだけれど(それはそれで、自分の枠を広げるきっかけの一つになるのだなあ)。
僕はそのままでいいんだ。あなたはそのままでいい。
僕がこのイベントに参加したり、才能心理学を学んだり、いろんな人に会ったり、もっというと会社を辞めて独立したのだって、ある一つのことを学ぶためなんじゃないかという気がしています。
それは、壇上の3人からのメッセージでもあるのだけど。
僕はそのままでいいんだ。あなたはそのままでいい。
そんなシンプルなメッセージ。使い古されたメッセージ。エルサが吹雪の中で雪の城を完成させたときのメッセージ。ポール・マッカトニーが書いて、ビートルズが歌ったメッセージ。
あなたは、そのままでいいんだよ。
子どもの頃、父親にも母親からも、他の誰からも言ってもらえなかったメッセージ(父さん、母さん、別に文句を言っているわけじゃない。ここで気づけて結果オーライさ!)。
僕が次のステップに進むために必要なことは、この短いメッセージに凝縮されるのかもしれない。そして、次のステップに進むための方法は、自分の既成概念の外にいる人に会うこと、話をして自分との違いを肌で感じること。そんなことを思いました。
既成概念は壊されたがっている。
でも、壊してる本人は怖がっているんだー。
怖がってもいいんだよ、恐怖は排除するべき感情ではないのだから。
と強がってみて、筆を置く。