なぜ?と問うことができなければ、何も変えることはできないじゃないか。
なぜ?と問うことができなければ、何も変えることができない。
果たして、本当にそうなのかはわからないけれど、そんなことをふと思った。
単に、僕が「なぜ?」好きで、「なぜ?」の威力を、大きく見せたいたいだけなのかも知れないと思いつつ、そのことについて思考を巡らせてみる。
なぜ?
を、頭の中で反芻している。とっても不思議な言葉だ。その質問をすると、物事のひとつ奥へと入っていくような感覚がする。
***
僕は、自分のことが知りたい。
なぜ?
知る必要があると思っているから。
なぜ?
自分を知ると幸せに近づけると思うから。
なぜ?
自分が幸せを感じられることがわかるから。
なぜ?
・・・
***
よくわからなくなってきた。
なぜ?は、不思議な呪文だ。
考えていて、こんなことを思った。
なぜ?に安易に答えを出してはいけない。
安易な言葉を当てはめた瞬間に、陳腐さをまとう。
たぶん、なぜ?という問いには、真摯に答えなければならないのだろう。
正直にね、嘘はダメ。
はぐらかしてもダメ。
あてずっぽうではダメ。
他人の意見を持ってきてはダメ。
「これだ」と思っても、何度も問いなおしてみないとダメ。
結局、なぜ?と問うことができなければ、何も変えることができないのかどうかはわからなかったけれど。
なぜ?という問いに真摯に答えを出すことが、より良く生きる秘訣ではないかと、そんなことを思った。