答えのない世界が好き。概念を遊び道具にして、転がしたり違った角度から見たりする。
答えのない世界が好き。
最近、ニーチェの言葉に一言添えて、Facebookにアップしている。
周りの友人たちも、それを面白がってくれてコメントをくれたりする。
生きること、愛すること、自分のこと、世界、友情、喜び、心・・。
人間が生きていれば、必ず関わりのある普遍的なことがらだから、何かしら引っかかるものがあるのだろう。
そして、どれもこれも、絶対的なひとつの答えはないもの。
100人いれば100通りの答えがある。
もし、その人だけの真実にたどり着いたとしても、しばらくすると、また別の答えにたどり着くかも知れない。
そんなもの。
「概念」と呼んでもいいのかしらね。
だから、みんながみんなの解釈で話をするし、これが正解だと押し付けることはしない。
言い方はアレだけど、そういったものを遊び道具にして、転がしたり違った角度から見たりする。
そんな場所が心地よいのだと思う。
答えのない世界。
僕にとって答えのない代表選手として、「歌」の存在がある。
歌には答えがない。
ただ、それを感じるだけでいいもの。
一時期、「売り上げ」というある一定の指標だけをもってして、ランキングを決めるというやり方に、強く反感を持っていた時期もある。
それも、今では風化してきていますよね。
答えのない世界に、一方的に答えらしきものを突きつけてくる人が嫌いだ。
その人の正義の裏側に見え隠れしているやましいものを感じるから。
それは、無知であったり、私利私欲であったり、他人をコントロールしようとする傲慢さであったりする。
答えのない世界は、答えがないから面白い。
・・なのだけれど、僕は、
答えのない世界の答えのない問いに、
「その時、その場所、その人にとって、一番正解に近いであろう、答えらしきもの」
を見つけること
に、ワクワクするのだと思う。
画像引用元:超訳 ニーチェの言葉