読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ポエジー*ミズノケイスケの「IDD=アイディーしてる?」

【IDD=アイデンティティデザイン】その人らしさ、個性を何かしらの意図をもって表現しているさま。

「人間は言葉にしない限り概念をまとめることができない。by安宅和人」について考えたこと

言葉と概念についての覚書 自分を知ることで幸せになれるのか?(実験) 僕が知った真理(仮説)について

『言葉を過信しない。しかし、言葉の力を信じる。』

僕は、自分のホームページにこんなことを書きました。

僕は言葉を過信しません。むしろ、曖昧で不安定なものだと捉えています。でも、言葉の力を信じてもいます。なぜなら、言葉にすることで、道標になったり、原動力になったり、意思表示になったりするからです。言葉は多くの可能性を秘めている。

僕が「言葉」というものを強く意識するようになったのは、ここ1年ほどだと思います。言葉を使う仕事としてはわかりやすい「コピーライター」とは違いますが、日々、言葉を駆使して仕事をしているという実感があります。

「言葉」についての原体験は、中2の頃でできごとでしょうか。それまでは、作文の宿題は大の苦手、文章を書くことが嫌いな、どこにでもいそうな子どもでした。

中2の作文の時間に、ある友達がアバンギャルドな表現をしているのを目にします。なにをテーマにした作文かは忘れてしまいましたが、文中に突然「あ!⚪︎⚪︎先生が廊下を走ってるー!」と、今起こっていることを実況中継していたのでした。

それを見た僕は影響を受け、「ああ、文章はもっと自由に書けばいいのだな、正解なんてないのだな」と、そんな価値観を持つようになったのだと思います。

それからは、卒業文集に好き勝手書いたり、歌にのせる詩を書くようになったり、ネットに接続するようになってからは、ウェブ日記、ブログも気づけばなんやかや8年とか。言葉が大きな割合を占めるウェブを仕事にしたのも、偶然じゃない気がしてきます。

と、ここまで前置いて、以前に読み終えていた「イシューからはじめよ」をパラパラしていたら言葉についての新しい発見がありました。

人間は言葉にしない限り概念をまとめることができない。「絵」や「図」はイメージをつかむためには有用だが、概念をきっちりと定義するのは言葉にしかできない技だ。言葉(数式・化学式を含む)は、少なくとも数千年にわたって人間がつくりあげ磨き込んできた、現在のところもっともバグの少ない思考の表現ツールだ。言葉を使わずして人間が明晰な思考を行うことは難しいということを、今一度強調しておきたい。

僕は「考える人」だということを、ここ最近の自分探しで認識するようになってきました。その「考える=思考」が直接「言葉=書く」に結びついているのだということは、大きな発見です。

僕は、考える人だから言葉にする。思考を表現するためにも言葉にする。そうつなげてみると、いろいろなことがしっくりきました。

仕事でも、それ以外でも、「自分の考えを言葉にするのが苦手だ」という人によく出会います。でも、僕は日常的に、自然にそれを行っているので、たぶん慣れているんだと思います。

それならば、自分の考えを言葉にするのが苦手な人の代わりに、頭の中から思考を取り出してあげることをしてあげたら、喜ばれるのではないのかなとか思ったり。

再度、安宅さんの言葉を引用して、今日のブログを終えようと思います。

僕が「言葉にすることを徹底しよう」「言葉に落とすことに病的なまでにこだわろう」と言うと驚く人が多い。僕は「理系的・分析的な人間」だと思われているようで、そうした僕から「言葉を大切にしよう」というセリフが出てくることが意外なようだ。