がんばらなくていい。ふつうにしているだけで人が喜んでくれる。それが理想の働き方。
僕は自分で自分のことを理想主義で夢見がちだと思っているので、できるだけ夢見る自分をコントロールしようとはしているのですが、いかんせん、ふとした時に理想主義者の僕が顔を出します。
で、ある朝ふと、「がんばらなくていい。ふつうにしているだけで人が喜んでくれる。それが理想の働き方だよなあ」なんて、しみじみ思ったりしてしまうのでした。
人によっては、24時間働けますか?的に睡眠時間をけずってガンガン働くことこそ仕事だぜ!といった価値観もあろうかと思いますが、僕はどちらかというと省エネタイプのようでして。
ふつうに息をして、息をはく。がんばらずに、自然な所作でいるだけで、人が喜んでくれたなら、そんなに素晴らしいことはないよなーと。
- ある人が、ふつうに息をして息をはくように、話を聞き言葉を返すと、目の前の経営者の課題を解決する。
- ある人が、ふつうに息をして息をはくように、趣味の裁縫に打ち込むと、誰も見たことのない作品が生まれる。
- ある人が、ふつうに息をして息をはくように、言葉を紡ぎだし表現すると、それが誰かの心をうち勇気づけられる。
- ある人が、ふつうに息をして息をはくように、笑顔で接客すると、目の前の人の心にあたたかいものが生まれる。
人が喜んでくれるということは、価値を生むことができたということですから、お金も生むことができます。がんばらない自然な仕事で、収入を得る。これは、今の僕には、とってもスイートな響きを持ちます。
目指すべき理想のコンセプトは、「がんばらない自然な自分で人に喜ばれる」。ただ、チラッと頭をよぎるのが、「めんどくさい、めんどくさい」と言いながら「風立ちぬ」の絵コンテを書いていた宮﨑駿さん。どんなに才能があろうと、何十年も続けてきた仕事であっても、より高いレベルのものを生み出すには、苦行に近い体験をともなうのかと。
ああいうのを見ると、甘っちょろい考えだと思ったりもします。でも、がんばらない自然な自分で人に喜ばれる働き方、そんな働き方をする人が、この世の中の0.01%くらいはいるんじゃないかと思ったりもします。
そして、逆説的だけれど、そのためには今がんばらなくちゃならないとも思います。がんばらない自然な自分で人に喜ばれる自分になるには、今はがんばるしかないわけで。
さてさて、着地地点としましては、プラマイゼロになったところで、今日のブログはおしまい。