父が亡くなり、通夜、葬儀を終えて、東京に向かう夜行バスで書いたこと。
あっという間だった。深夜、病院に駆けつけて、黄色く、冷たくなった父を見てから、この数日。人は死んでから、こんな手順で、こんな作法で、あっという間に骨になってしまうんだということ。
気持ちは、やっぱり、そんなには・・動かない。感謝しなきゃ、ここまで育ててくれた。でも、それは、心からは思っていないのかも。僕にとって、父は何者だったんだろう。父がいなければ、僕は存在すらしていないんだけど、それは頭での理解。感情では・・。
父が息を引き取る、7時間ほど前、僕ら家族3人は、父の病室にいた。お酒を飲んで上機嫌の赤い顔とはまた違った赤い顔で、苦しそうに、痛い、痛いと言う父。なす術なく、どうしていいのかわからず、手持ち無沙汰に空を見つめる僕。暑いというので、父を扇ぐ妻。娘は、何かを感じていたのか、降りようとせず妻に抱かれていた。
父からの意思、かろうじて聞き取れたのは「コンニチハ!コンニチハ!」と一生懸命に、自分はここにいるんだといっているようで。あとから妻に聞くと、その時笑っていたそう。そして、「さみしくない」と。しっかり聞き取れなかったのだけど、僕にはそう聞こえた。
もしかしたら、そう思いたかっただけかも知れないけれど、「俺はさみしくないから、大丈夫だ。心配するな」と。そう解釈して、病室をあとにした。駐車場に向かう道すがら、携帯と駐車券を忘れたことに気づき、そっと病室に入った。それが、生きている父をみた最後だった。
それから、約7時間後、深夜に起こされ、病室に駆けつけた時、赤い顔でガンと闘っていた父は、黄色く、冷たくなっていた。母や、おばさん、妹、家族が父の周りを囲んでいた。涙を浮かべながら。病室には、百恵ちゃんの歌が小さな音で流れていた。
『何億光年 輝く星にも 寿命があると 教えてくれたのは あなたでした』
まだ、未熟な僕は、あなたが授けてくれた命に、あなたが僕を生んでくれたことに、まだ感謝の気持ちを抱くことができないようです。だから、あなたが僕のこの意思を生んでくれたことに、心から感謝できるほどに、僕は幸せになろうと、そんなことを思いました。
父へ。このちっぽけな感謝の種を胸に。あの世では、大好きな剪定で身を立てられるとこを願います。
桂輔