アイデンティティ水野の【ジブんデザいん】Blog〜人生のデザインの仕方

Life can be designed. 人生をデザインしようぜ!どうしようもなく生きづらい自分を、どうにかしようともがいていく中で見つけた、自分の人生を自分でデザインする方法論、とかとか。

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台風がぜんぶ洗い流してくれればいいのにっ!と思うのは、ままならない現実から逃げたいから?

嵐が来ています。窓の外からは、さらさらとした木の音に混じって、時折強い風が吹き荒れます。不謹慎かもしれませんが、この台風で被害をこうむる人もいるかも知れないという思いがありつつも、「それとこれは別!」という意志でこんなことを書いてみます。

台風がくると、ワクワクする。コレってたぶん、実際に思ったり、誰かにそんな話をしたことのある人も多いんじゃないかと思います。古くは、「台風=暴風警報=学校が休みになる」的な連鎖からワクワクが生まれたり、調べてみると色んな人が色んな事を言っているようです。

僕も、子どもの頃には「台風=休み」的なワクワクを感じていたんだろうと思いますが、いつの頃からか、このワクワク感をこんなふうに考えるようになりました。

「台風がきて、全部をめちゃくちゃにして洗い流してくれたら、このままならない現実が終わるのになー」

そんな感覚です。まあ、普通にです。病んじゃあいません 笑

なんというか、他力本願な話です。今の自分を否定していても、自分で現実を変える努力はしない、できない。だから、誰かやってよーてなことで、台風さんにお願いするということで。(本当に被害にあったツラさも知らないのにね)

何が言いたいかというと、ある感情や考えが浮かんだ時、その奥底にある自分の本当の声を探してみると、自分に気づくきっかけになるのでは?ということです。

僕は、昔、「昔の僕は、死ぬのが全然怖くなかった。でも、今は・・・」的な痛い歌詞の歌を作ったことがありますが、世界が壊れる、自分が終わる、そういった終末感に対する恐怖の度合いというのは、その人の幸せ度を反映しているのだと思います。

もちろん、恐怖が大きければ大きいほど、その人は幸せであるってことですね。愛おしい自分、愛おしいひとたちの暮らす愛おしい世界だったとしたら、失うことの恐怖は計り知れないはずですから。

今の僕ですか?ええ、昔よりはだいぶ・・。だいじょうぶですよ 笑