アイデンティティ水野の【ジブんデザいん】Blog〜人生のデザインの仕方

Life can be designed. 人生をデザインしようぜ!どうしようもなく生きづらい自分を、どうにかしようともがいていく中で見つけた、自分の人生を自分でデザインする方法論、とかとか。

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僕は、フラットで同じ方向を見ている人間関係でありたいんだと思う。

以前から、うすうす思っていることを書いてみます。僕は、「フラット」で「同じ方向を見ている」人間関係が好きなんだと思います。

 
なんの因果か知らないけど、最近「先生」なんて呼ばれる機会がたびたびあります。それは、ウェブの専門家という意味での「先生」ということで、喜ばしいことではあるのですが、どうもこそばゆく感じてしまいます。
 
なぜかと考えてみると、先生という言葉がつくりだす上下関係にあるんじゃないかと思います。ステレオタイプ的に言えば、先生は教える人だから上。いろんな先生観があるとは思いますが、どうもフラットな感じがしないのですね。
 
先生なんて呼ばないでっ。僕はきみと、同じ目線で立ってるの。(おっと、心の叫びが。)
 
僕はこんな価値観を持っています。教えている人は教えられてる、お金を払っているひとは価値を受け取っている、子育てしている人は子どもに育てられている。
 
作用は反作用で、お互いに同じ量のエネルギーを生んでいる。世界をそんな構造だと思うからこそ生まれる、価値観ではないかと思います。
 
同じ高さで立つことと合わせて、同じ方向を見ていることも、変わらず大切にしたいことです。感覚的な話になりますが、お互いがバラバラの方向を見ていたらダメってのはわかりやすいですが、向き合っているのもなんか違うって思うんです。横に並んで、同じ方向を見ている。やっぱり、これがしっくりきます。
 
同じ高さで立って、同じ方向を見ている。例えば、深夜のファミレスでバンドメンバー集まって、あーでもない、こーでもないと永遠やっている感じでしょうか。
 
職場でも、クライアントとの関係でも、友達でも、家族でも、フラットで同じ方向を見ていることを大切にしたい。
 
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