「インターネット的」でイトイさんが書いていた「理想的な臨終の言葉」から、自分を知る。
糸井重里さんの「インターネット的」という本を読みました。
15年も前に書かれたにも関わらず、こんなにも新しい発見があるなんて。インターネットは、今では空気のように当たり前のものになってしまいましたが、改めて、インターネットがもたらした変化ってなんだったのかを再確認できる内容になっています。
インターネット黎明期に、こんなに時が経っても色褪せない内容が書けるのは、糸井さんの思想の深さのたまものでしょうか。
「あああ、面白かったーっ」と言って死にたい
あ、これ僕の言葉ではありません。「おわりに」でイトイさんが書いていた理想的な臨終の言葉なんだそうです。
僕の理想的な臨終の言葉は「あああ、面白かったーっ」です。これは、まだ予定でしかありませんが、そう言いながら死にたいということだけは決めています。
この言葉にビビッと反応した僕は、本書の内容そっちのけで、「理想的な臨終の言葉」について話を展開させていくことにします。
「死ぬときに後悔したくない。」いつの頃からかそう思うようになって、つい楽な方へと身を任せてしまいそうになる自分を律するようになりました。(といっても、まだまだユルユルなところも多々ありますが。)
「後悔しない人生」それはそれでいいのですが、いまひとつ漠然としていて、もう一歩具体的にするのが「理想的な臨終の言葉」ではないでしょうか。しばらく考えてみて、出てきたフレーズがこちらです。
「世界はこんなにもシンプルで美しかったんだー」
ちょっと前に読んだ「嫌われる勇気」の影響を色濃く反映しているようで、自分の言葉じゃないような気がして居心地わるいですが、コレしっくりきます。「本当のことが知りたい」僕は、探求の果てに、「世界はシンプルで美しいところだった」と思いながら死にたい。
イトイさんは「面白さ」、僕は「知る」ということが大切な価値観なんだろうと思いました。こんなところでも、人の多様性って面白いって気づきます。良い悪いの尺度はなくって、方向性の違いという意味での多様性です。
「人は多様な色を持っていて美しい」って、臨終までにはそう心から思えるでしょうか。