読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ポエジー*ミズノケイスケの「IDD=アイディーしてる?」

【IDD=アイデンティティデザイン】その人らしさ、個性を何かしらの意図をもって表現しているさま。

断定はセンスがない。断定せず、可能性を面白がれる人がセンスある人って思う。

近所のサイゼリヤで夜な夜な、ある男と人生や人の心について語っていたら「断定」についての話題が持ち上がりました。「断定」には一家言ある僕です。

ちょっとさかのぼりますが、20代の頃です。Blurっていうバンドが好きで、直訳すると「ぼんやり」とか「ぼやける」とかって意味らしいのですが、「そうだよねー!この世の中にきっちりと断定できるものなんてなくって、みんな曖昧なものなんだよね」なんて勝手に思っていました。(今から思えば、若気のいたりで反省しきりですが。。)

ということで、基本的な価値観として、「確実にそうである」という断定は嫌いで、「すべてにおいて可能性を大事にしたい」というのが僕の価値観の根底にあります。その男も同じ意見のようで、「断定はセンスがないよね」「そうだよねー」と意気投合したわけです。

しかし、同時に思うことは「断定はより伝える力を持っている」ということです。研修や勉強会で素晴らしいプレゼンテーションを目にするにつけ、「断定するからこそ伝える力を持つんだ」ということを実感します。僕なんかは、ついつい断定する前にエクスキューズをつけるのがクセになっているものですから、言葉に説得力が欠けるんだよな、というのが小さい悩みのタネです。

たぶん、プレゼンテーションというのはパフォーマンス的な意味合いも含まれるので、「伝える」そして「心を動かす」ことが目的であるならは、本心ではそうは思っていなくても、あえて断定しているんじゃないかと、そんなことを思ったりもします。

そんな話を僕がすると、その男は「断定でしか受け取ることのできない人ってのもセンスがないですよね」と、こうくるわけです。まあ、なるほどと思いました。世の中の人みんなが、断定されなくても自分の意志で判断して、行動を起こすことができたら、パフォーマンスの断定なんてしなくてもいいと、そういうことになりますね。

ちょっと話それましたが、まとめておきます。

この世界に断定できることなんて一つだってない。今の常識、科学で解明されていることだって、時が経てばわからない。世界は無情。可能性は無限大。そんな価値観を胸に、日々、息をしていきたいなーと思っています。

なぜなら、どんなバカげた話でも、可能性を信じたほうが楽しいから。現実と可能性の間を行ったり来たりしながら、とりとめもなく考えたり話をしたりするのが楽しいから。ってことですね。

そんな見えないものを面白がれる余地のある人は、センスのある人だなーって思いますし、そんな人と一緒に過ごす時間を増やしていきたいって思っています。

ああ、それと、一つだけ断定してもいいってことがあるならば、それは「自分」についてのこと。自分自身も不変ではないとはいえ、これは断定してもOKでしょう!

f:id:poesy:20150803000845j:plain

Blurから1曲ってなると、非常に月並みな感じでこの曲になってしまう。。