アイデンティティ水野の【ジブんデザいん】Blog〜人生のデザインの仕方

Life can be designed. 人生をデザインしようぜ!どうしようもなく生きづらい自分を、どうにかしようともがいていく中で見つけた、自分の人生を自分でデザインする方法論、とかとか。

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「じぶんのことは、なんでも後回しにして、ずっといつも、だれかの助けになろうとしていた」人は幸せになれるのか?

今日の「今日のダーリン」は、名前こそでてきませんでしたが、任天堂の社長、岩田聡さんのことでしょうか。岩田聡さんについては、僕はそれほど詳しくはなかったものですから、こんな人だったんだと、興味深く読みました。少し長いですが、全文を引用します。

・「じぶんのことは、なんでも後回しにして、ずっといつも、だれかの助けになろうとしていた」と、そういう人は、ほんとうにいるわけです。

その人が、「ほんとうにやりたいことをやってごらん」と言われたら、なにをするんだろうね、と、本人と話したことがあります。「なんだろうなぁ」と、本人はにやにやしました。そして「たぶん、その、だれかの助けになることを、したいんじゃないでしょうかねぇ」と言いました。ぼくも、「そうなんだろうねぇ」と納得しました。 「だって、それ以上にじぶんが一所懸命にやれてうれしいことって、ないんじゃないかと思うんですよね」うちの犬のボールを拾っては投げてやりながら、いつものような会話が続いていました。ぼくが京都の家にいるときには、かならずこんな時間が流れていました。

目の前に問題が置かれると解決したくなる病。ぼくは、そう言ってからかっていたのですが、だれかの助けになって「よかった」と思われるのが、とにかくいちばんの大好物だったのです。ちなみに、なるべく気づかれないようにしていたけれど、嫌いなものはたったひとつで、漬け物でした。

目の前に解決されたい問題があると、ついついなんとかしたくなるという病の人は、目の前にお菓子があると、なくなるまで食べます。これも問題解決の病気だね、と、おもしろがって、うちの会社にきたときには、わざと、目の前にお菓子を山積みするようなわるい人もいました。

急に遠くへ行ってしまったご本人の顔を見ながら、ぼくは「だめじゃんっ」と言ってしまいました。でも、しばらくして、心からそれを謝りました。彼は、じぶんの体内にある病という問題にだって、なんとか解決しようとしていたに決まってますから。お医者さんたちや家族や会社の助けになることを、ほんとうに一所懸命にやったはずなのですよね。そんなに一所懸命にやった人に、なんにも言えません。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。そう、今日は、遊んでもらってた犬の誕生日でもあるんだ。
引用元:ほぼ日刊イトイ新聞 2015年7月15日付け今日のダーリン

ちょうど最近の僕の関心ごとに「自分を差し置いて、人の力になろうとする人は幸せになれるのか?」という問題があったんです。糸井さんの言葉を借りると「じぶんのことは、なんでも後回しにして、ずっといつも、だれかの助けになろうとしていた」人。その問題に対する答えが、こんなかたちで目の前に現れようとは思ってもいませんでした。

カウンセリングをしていると、その人の特徴として、「誰かの力になることが自分の喜びだ」「自分のことよりも他人のことを優先させたい」という人と出会うことがあります。そして、往々にして自分を後回しにして人に尽くしてしまい、自分がつらい思いをしているという話を聞きます。

アドラーの「嫌われる勇気」にも、自分の課題と他者の課題を分離せよ、という話が出てきます。単純な僕は、他者に尽くすことは自分の人生を生きていないんだから、幸せになれないのでは?なんて思っていたのですが。どうやらそれは間違いのようで、自立した上で、自分の意志で他者に尽くすことができれば、幸せになれる人がいる。なんてことかなーと考えました。

それにしても、この「誰かの力になることが自分の喜びだ」という人、昨日友達と話していた時にも話題になったし、今日会った方も、お話を聞いていくと、偶然にもこのタイプの方でした。僕のアンテナがそっちに向いているとはいえ、なんて偶然なんでしょう。

任天堂の社長さんなんていうと、自分の世界観を有無を言わさずに実現していく行動の人なんてイメージがありますが、「じぶんのことは、なんでも後回しにして、ずっといつも、だれかの助けになろうとしていた」そんな人だったんですね。岩田聡さん、ご冥福をお祈りします。