アイデンティティ水野の【ジブんデザいん】Blog〜人生のデザインの仕方

Life can be designed. 人生をデザインしようぜ!どうしようもなく生きづらい自分を、どうにかしようともがいていく中で見つけた、自分の人生を自分でデザインする方法論、とかとか。

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僕のことは哲学者とか詩人とかになりたがってる人だと思ってくれるとちょうどいい話。

先週の土曜日は、中学校の同窓会でした。1995年卒で当時15歳だからほぼ20年ぶりの再会です。中学3年時の担任の先生もいらしてて、齢はとっていたけど変わっていないなーなんて。男はだいたいわかって、女の子は化粧のこともあったり、当時接触がなかったりでわかんない人が多かったり、記憶をたぐり寄せるとああ!いたいた!なんて。

さて、本題です。

僕は哲学者とか詩人とかになりたがってる人

正午からはじまった同窓会は、1次会、2次会、3次会と・・・気がつけば22時過ぎまで。(そのあと4次会があったとかなかったとか)帰宅してから、今日一日感じたことをFacebookに投稿した訳ですが、なんというか投稿を客観的に見て、めんどくさいことを書いちゃってるんです。めんどくさいオジサンになってるんです。

同窓会っていう、人種のるつぼというか、ある意味多様なタイプの人が集まる場所にいくことで、自分のめんどくささを顕著に感じました。案の定、幹事代表からは「硬い事言わずに気楽にいきましょう」とバッサリ。まあ、自分でもわかってるんですけど、ついついめんどくさい方向に考えてしまうのが僕という人間なんです。

ちなみに、その時の投稿は以下のとおり。

今日は中学校の同窓会。12時スタートの22時過ぎまでの10時間!なんとも濃厚な時間でした♪(´ε` )

『クラス40人は人生の縮図である』

これは糸井重里さんの言葉。社会に出ていろんな人と関わってみると「あの人、中学校の時の○○くんみたいだ」というように、クラスの誰かの顔が浮かぶ。社会にはいろんな人がいるけれど、だいたい1クラスの縮図になっている。これを、すごーく実感しました。

職業も立場もバラバラな人たちが入り乱れていて、でも、中学校の3年間があるから、すぐにフラットな状態で会話がはじまる。同窓会って社会勉強にもなるなとか思ったり。今日会えなかった人たちとも会えたらなー。

『同窓会は冬のお風呂みたいなもの』

実は、今日は朝から気分はハラハラ、不安。中学校に華やかな思い出がない僕は、あの時のメンバーとちゃんと話せるかしらと、少しナイーブになっていました。

でも、行ってしまえば楽しいもんで。当時全然話をしなかった人でも、同じ教室で過ごした思い出があるから、すぐに打ち解けられる。めんどくさいけど、入れば心地よい、同窓会は冬の寒い日のお風呂みたいなものだと思いました。 それと、こんな思いを打ち明けてみると、同じように感じていた人がいて、僕だけじゃなかったんだーと、気づいたりして。

そんなこんなで、感想おわり。みんな、ありがとおー☆

たぶん、以前の自分だったら、そんな自分を「恥ずかしい」とか「なんで自分はこうなんだろう」なんて責めていたんだろうなーと思います。でも、今は自分の芯が一本通ったといいますか、飽くなき自己対話を通じて「これでいいんだ」「これが自分なんだからしかたない」って前向きに思えます。

だから、みなさん、僕のことは「答えのでないことを、つい延々と考えてしまう哲学者」とか「あたりまえだけど意外と真理、みたいなことをカッコよく言いたがる詩人」に、なりたがってる人(あくまでなりたがっているw)だと思っていただけるといいんじゃないかと思います。ハイ、いちいちこんなことを書く、めんどくさい男です。

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