「僕の母が毎日近くの山に登ることと、僕が世界で三番になることの本質的な違いがわからなくなった」by為末大
為末大さんはかく語りき。
かくいう僕も、競技人生の前半においては、意味のある人生にしたい、意味のあることを成し遂げたいという思いが強い動機になっていた。でも、メダルをとったころからふと冷めだした。僕の母が毎日近くの山に登ることと、僕が世界で三番になることの本質的な違いがわからなくなったのだ。
意味を見出そうと一生懸命考えていくと最後には意味なんてなんにもないんじゃないかと思うようになった。人生は舞台の上で、僕は幻を見ている。人生は暇つぶしだと思ってから、急に自分が軽くなって、新しいことをどんどん始められるようになった。たかが人生、踊らにゃそんそん、である。(「諦める力」P73)
人生に意味は必要なのだろうか。
僕は、どうだろう、数年前だったら、人生の意味を見出そうとしてやっきになっていたように思う。
この頃は、そうでもないように思うけど、やっぱ考えちゃうかな、意味とか。
「母が毎日近くの山に登ることと、世界で三番になることの違いがわからない」
この言葉は、為末さんだから言えることであって、だから世界への挑戦をやめて、自分がただただ楽しめることをしよう、というメッセージではない。
ない。・・ないのか?
今すぐ、めんどうだけど、がんばらなきゃと思っていることをすべてヤメて、単純に楽しめることを魂に聞いて、やるほうが結果幸せになれるのでは?
わかんない。
わかんないけど、「人生は暇つぶしだと思ってから、自分が軽くなった」って、荷物降ろしちゃったほうがよいのかねー。