アイデンティティ水野の【ジブんデザいん】Blog〜人生のデザインの仕方

Life can be designed. 人生をデザインしようぜ!どうしようもなく生きづらい自分を、どうにかしようともがいていく中で見つけた、自分の人生を自分でデザインする方法論、とかとか。

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感情のモヤモヤをなくして、スッキリと行動できる自分になる。花療法「バッチフラワー」とは

お花のエネルギーで、人の感情を癒やす、花療法「バッチフラワー」をご存知ですか?
 

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「お花のエネルギーで感情を癒やす」なんていうと、なんだか女子っぽいイメージをかもしだしますけども、男とか女とか、そんなことは置いておきまして(笑)
 
 
「なんか気分のらないなあ」とか「ついイライラしちゃって」とか「うーん、やる気が出ない・・」とか、みなさんも日常的に体験する「今日はなんだかスッキリしない」、こういうのは、感情の乱れからきています。
 
自然の中にいると、心が穏やかにスッキリするのと同じで、自然界にある「お花のエネルギー」は人の感情にダイレクトに働きかけます。バッチフラワーは、そういった作用を利用して、感情の乱れを整えていくものです。
 
 
ぼく自身、ここ数ヶ月にわたって利用していますが、自分の中での変化を確実に感じています。
 

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ちなみに、写真は、今のぼくの課題と使用しているバッチフラワーをまとめて文章にしたものですね。
 
「相手のペースに合わせ、心穏やかに、お尽くしできる自分になる!」というのがメインのテーマで、「オープンに気持を人に伝える」「失敗から教訓を学ぶ」「現実に着地」「他人の成功を喜ぶ」「他人の不手際に苛立たない」などなど、ぼくが克服したい感情がリストアップされています。
 
(なんだか、自分のダメなところがさらけ出されていて、お恥ずかしや・・^^;)
 
 
「花のエネルギー」なんていうと、ちょっとスピリチュアル的なにおいもしてきますが、科学的根拠とかは置いておいて、個人的には自分にとって良い方向への変化を感じられるので、とてもいいものだと思っています。
 
そんなバッチフラワーを学び、体験できる講座を11月に2回行います。名古屋の鳴海と岡崎市内での開催ですので、興味がありましたらぜひともご参加くださいませ!
 
 
 
▼2018年11月19日(月) 14時〜18時/コスモホーム(名古屋市緑区鳴海)にて
 
▼2018年11月29日(木) 10時〜15時/エヴェリーナマンマ(岡崎市)にて
 
 
そしてそして、このバッチフラワーとてもとてもオススメなのですが、この2日間に都合がつかないよ〜という方のために、バッチフラワーの専門家さかいみえこさんをご紹介しておきますね。
 
▼お花の治療院マーム
 
 
 
おまけ。
 
「心のトゲトゲ飛んでいけ〜」は、娘が大好きな今のプリキュア「HUGっと!プリキュア」の必殺技シーンの決めゼリフですが、バッチフラワーはこれに近いものがありますね♪
 

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ありがとうございました(、`)ノ
 

「希望のイチゴ」の野中さんは、「自然農」だけじゃなく「障がい者就労支援」もスゴかった。

今朝も4時に起きて、スーツを着て‥‥(ちょっと慣れてきたかしら)
本日の、豊田市中央倫理法人会モーニングセミナーの講話者は、自然栽培イチゴで有名な野中信吾さんでした。

 

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これが、すごい!感動!
自然農のお話ももちろんですが、障がい者の方の就労支援の話が、これまたすごかったんです。

 

 

重度の障がい者の方が、自然の中での仕事を通じて、やりがいや誇りを持って、できなかったことができるようになっていく。
それをすごく楽しそうにお話される野中さん。そんな話を聞いていて、朝から痛快な気分を味わうことができました♪

 

 

もう一つ、印象的な話として、根っこの話。
肥料をやらないと、まず地中で根っこがビシッと張りめぐさられて、その後に茎が育ち葉が育ちするんですって。
根っこが張った作物は強い。倒れない。生命力がある。そして、甘みがあって美味しい。
逆に、肥料をやると根っこが育たないので、倒れやすいんだそうです。

 

 

なるほど。
これって、人の成長にも言えるんじゃないかと思いました。
きびしい環境で苦労して育った人って、根っこが張っていて心があるから強いですもんね。

 

 

(つたないメモですけれど、添えましたのでご参考ください)

 

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さて来週のモーニングセミナーは(サザエさん風に)
村瀬礼子さんの女性活躍論のお話。
村瀬さんとはまだ数回お会いしただけですが、不思議な魅力のある方です♪

 

 

 

そして、モーニングセミナーは、誰でもスポット参加OKだそうですので、興味のある方、いっしょに参加しませんか?

 

うふふふふふ〜♪

 

 

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私は存在しない=「空思想」と、私は何者?=「アイデンティティ」の矛盾について

先日の陰陽五行論塾で「空思想」の解説をしていただきました。
空=くう、空(そら)ではなく。食う思想でもなく(笑)

 

すべては、変わりゆくもので、不変なものはひとつとして存在しない。
だから、「わたくし」なんというものは存在しないのだ、と。

 

これは、ぼくにとって衝撃的なニュースであるのです。
アイデンティティ=わたしとは何者であるか?を追求している身としては、「わたし」はないんだと言われてしまっては、どうにもこうにも。

 

しかし、捨てる神あれば拾う神あり、グッドニュースも同時にやってきます。
「わたし」はいない、ただ「関係」だけが存在するのだと。

 

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そして、「自我」の世界は「対立」を生み、「無我」「無私」の世界では「関係」を生むのだと続きます。

 

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なるほど!人間というものは、ただひとつの「わたし」は存在しなくて、「ある関係におけるわたし」が無数に存在しているのだ!

 

これは、ぼくが今後「アイデンティティ」などどいう、よくわからないモンスターを仕事にしていく上で、希望とも言えるものでした。

 

「自我」を捨て、「無私」になることで関係が生まれる。その世界では、自分の「役割」に徹することだけが求められる。

 

その関係の中での「役割」を言葉にし、ある意図を持って機能するように=デザインすることが、ぼくの仕事なんだろう!

 

と、なんだか自分でもややこっしいことを書いている気がしていますが(汗)

 

今日、ウェブ集客についての相談をご依頼いただき、自分の知見をお話してきました。その場における「わたし」は、目の前のお二人のためを想ってお伝えすることだけ、その「役割」に徹すればいいのだと。

 

もしかしたら、これが噂に聞くところの「今を生きる」ということなのかも知れないなと、そんなことも思いました。

 

小さな気づき、でもその積み重ねが道を進む原動力。そのきっかけに感謝!

 

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やりたいことは、ぜんぶ飽きるまでやってみたらいい。飽きてからが本番だ

「やりたいこと」には、「やってみたいこと」も含まれている。
 
「やってみたいこと」は、1回だけやってみたいなので、やると飽きる。
 
でも、その「やりたいこと」が「本当にやりたいこと」なのか「一回だけちょっとやってみたいこと」なのかは、実際にやってみないとわからない。
 
だから、やりたいことは、ぜんぶ飽きるまでやってみたらいいと思う。
 
そして、「やってみたいこと」をすべてやり終えた先に、その人が本当にやりたいことが隠されているのだと思う。
 
皮を剥き続けるように、やりたいことをやって、飽きて、ひとつ自分を知る。
 
そんないじらしいプロセスを踏まないと、本当にやりたいことにたどり着けない。
 
なんて、人間って、難儀な生き物です。
 

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↑1年前くらいの名刺デザイン(本当にやりたいことはなかなかムズい)

梅坪小学校1年生の熱射病事故を聞いて、幼い子の死について思うこと

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普段づかいの、見覚えのある公園がニュースに登場する不思議を味わった。

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事故の報道があってから、この話を書こうか書かまいか、迷っていた。人の死とは何なのか、いつも考えていることがある。なのだけれど、どうしても一般的な社会の常識とはズレているんじゃないかと思っていて、こういったことを発信するのはためらわれる。

ただ、今回の事故が起きた和合公園は、我が家から2番目に近い公園で、娘の一番のお気に入り、メインバンクならぬメイン公園なのである。この男の子が通っていた梅坪小学校は、おそらくこのまま行けば、1年半後に娘が通う小学校になるだろう。

ニュースで流れていた映像は馴染みのあるものばかりで、小学生たちが歩いた1キロの道のりは、ぼくも歩いたことがある道だ。あまりにも近すぎる。何が、見えない大きな力が書けといっているようでならない。

よし、書こう。この事故を受けて、ぼくがここ最近感じている、人の死が意味することについて、ここに書いておこうと思う。

***

まずは、亡くなられた小さな命に、ご冥福をお祈りいたします。

さて、考えを述べる上で、感情を抜きにして考えたいと思う。もし、人の精神を頭と心をわけることができるとしたら、頭=論理性の世界での話と受け取っていただけたらと思う。この事故で悲しみにくれている人がいる。それはわかっている。悲しみの中にいる人には、まずは寄り添うことが大切なことなんだと思う。しかし、配慮をしていたら、永遠に言えないことがあるとも思う。

残されたご両親、家族、担任の先生、友達、同級生。みんな、それぞれに自分の明日がある。自分の未来がある。亡くなった男の子とは別の、その人の人生がある。今は、先のことなど考えられないかもしれないけど、心の傷が癒えてきたときに、向き合わなければならない自分の人生がある。

***

若くして亡くなる人を、夭折(ようせつ)者と呼ぶそうだ。ぼく自身が、仏教的な考え方や東洋思想などを学んでいく中で、夭折者にはある役割があると教えられた。それは、「世の中に対して大きなメッセージを届けるために生まれてきた」ということ。つまり、小さな命がなくなることは、社会に大きな衝撃を与える力を持っている。重ねて申し上げるが、感情を抜きにして話している。当事者の方からしたら信じれない話だろうが、若くして亡くなるには意味があると学んだ。

瀬戸内寂聴さんは、「人は旅立つとき、25mプールの529倍ものエネルギーを縁ある人に渡していく」とおっしゃっている。幼い子どもであれば、さらに大きなエネルギーではないだろうかと想像する。これだけ、毎日のニュースで報道されている。社会的なインパクトがある。これは、大きなエネルギーが生まれているとは言えないだろうか。

社会的な影響力もさることながら、この大きなエネルギーを最も受けるのは、ご両親、そして担任の先生ではないだろうかと想像する。今は、悲しみであったり、後悔であったり、自責の念であったり、負の感情を感じておられるのではないだろうか。事故の前と同じ生活に戻るには時間が必要であろう。しかし、この先もずっと後ろ髪を引かれがら、悲しみの中で生きていくことは、男の子も願ってはいないだろうと思う。

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ぼくは、人の死は「残された人への、何かしらのメッセージだ」と考えている。推理小説にダイイングメッセージという言葉が出てくるが、ちょうどこの言葉はピッタリだ。亡くなった人からのメッセージは必ずあって、具体的に文章として明示されていなかったとしても、それを受け取る意志があれば、受け取ることができる。

どうすればよいかと言うと、「その人が死を通して自分にとってどんなメッセージを送っているのだろう?」と考えてみること。そのように、身近な人の死を何かしらのメッセージと考え、そのメッセージに従って生きることが、その人の幸せではないだろうか。そして、亡くなった男の子の願いではないだろうか。

もしかしたら、常識的に考えれば、おかしなことを言っていると思われても仕方のない話だ。でも、そう考えることが、残された人が幸せになる道ではないかと、そんなことを思う。

そして、この考え方は、今回の件に限った話ではなく、大切な人の死を経験している人の全てに当てはまる話だとも思う。大切な人の死から、自分に向けられたメッセージを受け取ること。その人が残してくれた思いを咀嚼し、考え、使命へと昇華することができるとしたら、そのメッセージはギフトなんだろう。

***

こう考えるに至ったきっかけの一つに、ぼくの父の死がある。3年前に亡くなった父。今考えれば、父が生きていたときよりも、多くのメッセージをぼくにくれているように感じる。父が3年前に亡くなり、次の年におじいちゃんが亡くなった。身近な人の死を経験して、死とは何か?ということを考えるようになった。

麻原彰晃氏の死刑のニュースを聞いたときにも、同じような考えが頭をよぎった。オウム事件の被害者遺族の方にも同じことが言えるのではないだろうか。そのときには、このような文章として、発信するまでには至らなかった。今回は、この子が、ぼくに書かせたのだと思う。

人の死は悲しいものであると同時に、その出来事を通じて自分自身を見つめ直す機会でもある。そう考えれば先に逝った人からのギフトとは考えられないだろうか。この文章が、必要な人に届きますように。

最後に、小さな命のご冥福をお祈りするとともに、ご両親、先生の今後の人生が輝けるものでありますことを願って。

ヒプノセラピー(前世療法)体験記〜ぼくの過去生にいた意外なようで意外でもない人物との出会い

前々から興味があった、ヒプノセラピー(前世療法)を体験してきました。これがなんとも!新鮮で、あたたかくて、懐かしくって、心地よい体験。その感動を、ちょっとしたためてみます。

 

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その前に、ちょっと「前世」について。

潜在意識と顕在意識、その境目にはフタがしてあって。子どもの時には開いているけど、だいたい6歳くらいで閉じてしまうんですって。前世の記憶は、そのフタの先、潜在意識の中にしまわれているのだそう。

 

さらに、僕たちが知覚できる顕在意識はわずか3%しかなくて、あとの97%は意識することのできない潜在意識下にあって。潜在意識から顕在意識に、常に情報が流れ込んでいるので、前世の記憶は、強くその人自身の性質や行動に影響を与えるんですって。

 

さあ、前世へと!

多治見にある、ヒーリングルームの一室、ゆったりとしたイスに身を任せて、目をつむったぼく。果たして、セラピストさんの丁寧な誘導により、ぼくは想像の世界で階段を下っていきました。顕在意識から、潜在意識へと降りていくように。
 
階段が途切れた先の、扉の向こう、あふれた光が収まると、草原に立っている「わたし」がいました。
 

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↑こんな感じの、山あいで、近くに小川が流れているところに立っていた

 
華奢な手、袖のないフワッとした白いドレスに身を包んで、右腕にはブレスレット。頭には質の良さそうな麦わら帽子。足元は、ぺったんこの革のサンダルに、ビーズがあしらってあるものを。

 

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↑こんな感じの、足元まであるドレス着て

 

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↑腕には(右手のみ)ブレスレットの重ね付け

 

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↑足元は、こんなサンダルで

 

え、お姫さま!?

さらに、さらに、セラピストさんの誘導によって、その人物の正体が明らかになっていきます。

 

 

名前はサラ。
歳は18、貴族の娘、兄弟は上に4人、末っ子のお姫さま。
自由と自然を愛する。
お城での生活は、嫌ではないけれど、ちょっと窮屈。
だから、母の目を盗んでは、お気に入りの場所にいく。
森の中、大きな木が1本あって、周りには草花たちが。
小川が流れていて、そこで裸足になって、川の流れ、水の冷たさを感じる。
気ままに、自由に、生きていたい。
お姫さまだけど、ピアノとバイオリンの練習をさぼってお出かけ。
ちょっとの批判はあったとしても、ちゃんと話せばわかってくれる。
30分も話せば、大抵の人はわかってくれる、そんな自信がある。
気が向いたら、畑を手伝うの。
土を触るのは好き、植物も、虫も。
それと、本が好き。
空想の世界、ファンタジーを旅するの。
空の向こう、星のこと、魔法の使い方。
一人でいるのが好き、人が嫌いなんじゃなくて、みんなが周りにいてくれるから、安心して一人でいられる。

 

イメージとしては、ルパン三世のクラリス!

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とか、不思議の国の、

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アリス!とか。

 

あと、ここが面白いの。

 

内面的な自分は、

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風立ちぬの菜穂子さん!

 

父のようになりたい

家族は7人、父母と、兄弟。
母はきびしいからちょっと苦手で。
父が好き。尊敬している。
茶色い目をしている、優しい目。
深く物事を見透すことのできる、透き通った目。
大事なことを見ていて、力があり、
ときに鏡のように光る。
 

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↑父はこんなイメージ

 

サラから、ミズノケイスケへのメッセージ

・自由でいい
・わがままでいい
・傷つきやすいとこあるよね
・でも信頼できる人がいる
・お父さんみたいになってね
 
ですって!
 
なんだろう、すごく勇気が湧いてくるメッセージ。

 

やっぱり、二面性を抱えている

父のようになりたい、落ち着いてて、誰かのためになれる。
でも、やっぱり自分はおてんばで。
自分が楽しむのが一番になっちゃう。
父は憧れ、なりたくても、父みたいにはなれないってわかってる。
 
それでも大丈夫ってわかってる。
自分が自分でいて、楽しんでいる、自然と触れ合っていることが一番だって、わかってる。
 

あるね、これ、前世

だって、こんなにもはっきり感じられる。
ちゃんとつながっているんだ。
あのとき好きだった、忘れられない光景が、今でも心惹かれるんだろう。
宮崎駿という人が描くあの映像は、あのとき好きだった風景だったんだな。
 
 
 
まるで素敵な映画を1本観たような時間でした。
およそ40分くらいだったようですが、とても豊かな体験です。
 
前世に出てくる人物は、一人ではないそうですが、今の自分に一番メッセージをくれる人が、お姫さまだったなんて。意外なようで、改めて考えてみると、妙に納得。意外じゃない。
 
 

カルマは輪廻する

 
過去生が、今の自分に影響を与えている。人は輪廻転生の中で、業を抱え、カルマの解消をするために、今生があるとしたら・・
 
じゃあ、ぼくがなんでこんな「地球を救う」だなんて使命感を持つのだろうか?
今回の、この回では明らかにされませんでした。
サラはこのあと、何を見たのか?
サラの父親が収める国に、何か異変があったに違いない・・
 
 
というところで、To Be Continued!前世への旅は、次回へと続くようです。

 

 

 

今回お世話になったのは、ドイツ在住セラピスト、Megimiさん♡

https://ameblo.jp/elgatherapy/