アイデンティティ水野の【ジブんデザいん】Blog〜人生のデザインの仕方

Life can be designed. 人生をデザインしようぜ!どうしようもなく生きづらい自分を、どうにかしようともがいていく中で見つけた、自分の人生を自分でデザインする方法論、とかとか。

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【しつもん】自分の過去に何点をつけますか?

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今まで生きてきた過去の自分。昨日までの自分の出来映えはどう?
 
 
やってきたこと、やらなかったこと。
 
努力してきたこと、あきらめたこと。
 
 
あんなこと、こんなこと、たーくさん経験してきたけれど、
 
それまでの過去の自分に、100点満点で、何点をつけますか?
 
 
 
 
チッチッチ・・・
 
 
 
***
 
 
 
この質問、かの有名な、
 
松下幸之助さんが、面接で聞く
 
「あなたは運がいいですか?」
 
という質問に似ているように思いました。
 
 
 
さて、
 
みなさん、自分の過去に何点をつけたでしょうか?
 
 
もちろん、この質問、
正解のない問いなので、たったひとつの正解はありません。
 
 
 
が、
 
もし、「幸せになれる考え方」というものがあるとして、
 
その、幸せになれる考え方の中でなら、たった一つの正解があります。
 
 
 
 
 
正解は、100点満点。
 
 
 
 
80点でもなく、90点でもありません。
 
1点足りないだけの、99点でもありません。
 
 
 
幸せになる考え方は、いまこの瞬間を全力で生き切る生き方。
 
だから、過去の後悔を1ミリでも引きずってはいけません。
 
 
 
1点足りないということは、
 
その1点を悔やみ、
その1点に引きずられ、
いまを全力で生き切っていないことを意味する。
 
 
 
だから、
 
 
 
過去の自分は、いついかなるときも、100点満点なのです。
 
 
 
***
 
 
 
と、これ、受け売りなんですけどね〜。
 
ぼくが通っているある塾の懇親会で、教えてもらった話です。
 
 
 
 
そこは、自分を、人間力を磨く塾です。
 
自分を変える場所です。
 
怠惰な自分、勇気のない自分、変われない自分を変えていく場所です。
 
 
 
 
これを読んで、ピンときたあなた。
 
いっしょに、自分を変えていきませんか?
 
興味がありましたら、ご案内しますので、メッセージください(^^)v

自分自身の生き様をアートとして表現していかなきゃならない

自分自身の生き様をアートとして表現していかなきゃならないんだ。

 

ジョン・レノンもトム・ヨークも曽我部恵一も。
その作品がいいだけじゃなくて、その人だからいいんだから。

 

好かれるとか嫌われるとか、成功するとか失敗するとか、大きい仕事だとか小さい仕事だとか、正しいとか間違ってるとか、そういうことじゃなくて。

 

他人という評価軸を入れることなしに、どれだけ自分を生きることができたかに、焦点を合わせればいい。

 

自分でいい。
アートなのだから。
感じ手が、勝手に解釈をすればいい。

 

何を感じ、何を考え、どう行動するかを、一点の曇りもなく表現できたとき、自分を生きていると胸をはれる。

 

遠いなあ。
でも、やってやる。
一歩はもう踏み出してる。

 

死ぬときに後悔するのはイヤだから。
自分自身の生き様をアートとして表現していかなきゃならないんだ。

 

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プライド高い系デザイナーとは、付き合うべきかどうか?

どうも、感情と体験を哲学する男ミズノケイスケです(、`)ノ
 
 
世の中を見渡してみると、「プライド高い系デザイナー」というタイプの人が存在していることが確認できます。
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プライド高い系デザイナーとは

 
ウェブ集客のコンサルティングの現場で、クライアントさんと話していたときの話です。
 
そのクライアントさんのホームページを見せてもらうと、どうにもよろしくない点がある。SEOの観点で、非常にもったいない。このホームページをつくっている人は、おそらくSEO的な知識が欠けているのだろう。
 
ということで、クライアントさんに、
 
「これこれこういう理由で、この点を改善したほうがいいですね。デザイナーさんにお伝えいただけます?」
 
すると、そのクライアントさんの一言にビックリ!
 
「いやあ、彼(そのデザイナーさん)、プライドが高いから、いいづらいんですよねえ・・」
 
 
 
もうひとつ別の話。
 
これもあるクライアントさんとお話をしていたときのこと。
 
そのクライアントさんのホームページのデザインが若干あか抜けない感じで、サービスの良さが十分に伝わりづらいなと思い、ひとつ提案をしたんです。
 
「これじゃあ○○さん(クライアントさん)の良さが伝わらないですよ。料金はいらないので、ぼくにこのページをつくらせてもらえませんか?」
 
と。
 
「ぜひお願いします!」とのことだったので、「では、今の業者さんに、ぼくがホームページの中身をいじれるように、お伝えいただけませんか?」
 
すると、そのお返事にまたまたビックリ!
 
「え、それは言えないです・・。彼(そのホームページ制作業者さん)のプライドを傷つけてしまいそうで」←!
 
 
 

世のクライアントさんは、プライド高い系デザイナーに遠慮をしている!?

 
 
このふたつの事例から推察するに、お金を支払って制作を依頼する側のクライアントが、デザイナーに遠慮をしているという構図が浮かび上がってきます。
 
 
そうやって考えてみると、ぼくが担当するオカビズでの相談のときにも(わたくし、月に40件ほどウェブ運用に関する相談を担当しています)、「ホームページ業者さんとのやりとりがうまくいかなくて、ストレスなんです(泣)」なんていう声をよく耳にします。
 
 
実際、ぼくが知らないところでは、どうなのでしょう。アンケートでもとりたい気分です。
 
 

プライド高い系デザイナーはどのくらい生息しているのか?

 
今回、ふたつの事例を紹介しましたが、このプライド高い系デザイナーは、どのくらいいるのでしょうか。
 
これはもう、個人的な肌感覚になってしまいますが、わたくしミズノが考えるに、プライド高い系デザイナーはかなり多いと思っています。
 
 
なぜかというと、そもそもクリエイティブな仕事を志すという時点で、オレオレ気質が強いから。
 
これ、メンタリングのセッションなんかを行なっていく中で感じたことですが、自分のものづくりへのこだわりが強いからこそ、自分の満足いくものづくりをしたいと思い、クリエイターになる的な。
 
 

じゃあミズノ、よ、お前はどうなのだ?

 
さて、デザイナーのはしくれである、わたくしミズノはどうなのか!?
 
わりと柔軟に、クライアントの要望に合わせるタイプだ、というのが自己評価なのですが・・・
 
こればっかりは、自分が思う評価と、他人からの評価は違いますのでね^^;
 
 
ひとつ言えることとして、ミズノは「そもそも自分自身をも、うたがう視点を持っている」というタイプのデザイナーです。
 
つまり、自分の意見、自分の感覚、自分のつくるものを絶対視しない、という視点です。
 
自分に自信がないわけじゃないんですけどね。世界には陰と陽、2面性があるので絶対的なものはないという価値観があるので、自分をうたがった上で判断するという。
 
 
と、そんな前置きをいれつつも、結局は「自分のいいと思ったものがつくりたい、プライド高い系、オレオレデザイナー」なのだと思います。(←どっちやねん!)
 
 
 

実力がないデザイナーほど、プライドを振りかざす傾向がある

 
ただ、ひとつ、これはあるなと思うこととして、実力がないデザイナーほど「それはできません」とか「それはデザイン的にあーだこーだで」と、クライアントからの要望を受け入れない傾向があるように思います。
 
昔の人が、「弱い犬ほどよく吠える」と言ったようですが、自分の実力のなさを隠そうとする、防衛本能なのかもしれませんね。
 
 

結論。もろもろを踏まえて、プライド高い系デザイナーとは、付き合うべきかどうか?

 
途中、脱線もはさみつつ、プライド高い系デザイナーについて持論を展開してきましたが、結局、プライド高い系デザイナーとは、付き合うべきか、どうなのでしょうか。
 
世のデザイナーの多くは(ここは筆者の肌感覚であるため、議論の余地はありますが)、プライド高い系オレオレデザイナーだとすると、「付き合っていくしかない」というのが結論になります。
 
 
なのです、が!
 
 
ひとつキーワードになるのが、相性
 
 
デザイナーとクライアントの「オレオレ感」が一致していれば、どちらもストレスを感じることなく仕事が進むと思うんです。
 
 
家づくりの業界には、「理想の家を手にいれるには、依頼先を決めるところまでで8割りが決まる」という言葉があるようですが、デザインやクリエイティブなことでも、同じことが言えそうです。
 
 
ですので、現状、ホームページやデザインを業者に依頼している方は、「業者さんと自分との相性」「業者さんが提案するデザインが、自分に合っているかどうか」をチェックしていただくとよいかと思います。
 
 
「なにか違うかも・・」と感じた方は、別の業者さんを探したほうが、お互いにとってハッピーになることと思います。
 
 
ちなみに、わたくしミズノも例外にもれず、相性のよいクライアントさんには力が発揮できるけど、相性が合わなければ、お互いに不幸な結果になってしまうでしょう。
 

ですので、ぼくの感性にピン!ときた方は、ぜひ一度お話をしましょう(^^)v

自分以外の人の死は「故人からの自分へのメッセージ」なのだと思う

どうも、体験を哲学し言語化するのが趣味なヘンなやつミズノケイスケです(、`)ノ

 

 

今日6/24は、父の誕生日なのですね。

 

父は2年前の夏に亡くなりました。生きていたら70歳よりちょっと前くらいでしょうか。若干、早めに、あちらに行かれたのでしょうかね。

 

ぼくが独立したのが2015年の5月、その年の夏のことでした。それまで、縁遠かった「身近な人の死」に触れたのが、そのときでした。

 

 

このごろFacebookを見ていると、「死」についての話題をよく目にします。

 

 

父が亡くなる前でしたら、特に言うこともなかったかもしれませんが、身近な人の死を経験すると、あれこれ考えることもあります。

 

今日、「父の誕生日だな」ということと、「麻央さんの件での、みなさんの意見」から、ぼんやり考えていたことを、書いてみようと思います。

 

 

***

 

 

人の死は「メッセージ」なのだと思います。

 

 

死には2種類あって、

 

ひとつは「自分の死」。
もうひとつは、「自分以外の人の死」。

 

これは、同じ「死」であっても、似て非なるものなので、わけて考えなければならないように思います。

 

 

自分の死については、正直、まだよくわかりません。漠然と、死ぬ直前に後悔だけはしたくないなあ、とは思うけれど。今回は、自分の死ではなくて、自分以外の人の死の話。

 


自分以外の人の死は、

 

 

「故人からの自分へのメッセージ」なのではないだろうか?

 

 

お昼に親子丼を食べながら(←え!なにその偶然、今気づいたけど!)、そんな考えが浮かんできたのでした。

 

 

父が亡くなったとき、それほど動揺もせず、悲しみもわいてこない自分がいました。それを「冷たいやつだ」とする声があるかもしれませんが、正直な実感なのだから、仕方ありませんし、取り繕う必要もないと思っています。

 

 

でも、2年前の夏から、節目節目で、父親のことを思い出し、父親の存在が自分の生きる道の指針になっている感覚があるんです。

 

 

・・・あの人は、本当に満足した人生を送ったのかな?幸せだったのかな?剪定屋の仕事やりたいって言ってたけど、結局できずじまいだったよな。子ども3人抱えながら働いて、自分のやりたいことを犠牲にしてたんじゃ。

 

本人がどう思っていたかはもはやわかりませんし、それは父の問題だと思います。残されたぼくは、ぼくにできることをやる。

 

ぼくにやれることとしたら、父からのメッセージを受け取って、どれだけ自分らしい人生を生ききるか。

 

 

父親は、肉体がなくなっても、ぼくの中には残っていて、メッセージを届けてくれています。

 

その感覚。

 

 

だから、

 

自分以外の人の死は、故人が自分へメッセージを送っているのではないか?

 

そんなことを思ったのでしょう。

 

 

***

 

 

小さい時、おばあちゃんの家でよく、「魔女の宅急便」を観ました。

 

 

劇中歌でユーミンが歌っている

 

『目にうつる全てのことはメッセージ』

 

これに近いのかもしれませんね。

 

 

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写真は、父が亡くなった日の朝、病室から見えた景色。

 

poesy.hatenablog.com

ミズノさんに質問→「執着」って何? 辞書を引いてもよくわかんなかったんで(笑)

どうも、感情と体験を哲学する男ミズノケイスケです(、`)ノ

 

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こないだですね、突然相談をされまして・・

 

 

「ねえ、ねえ、ミズノさんに聞きたいんだけど・・しゅうちゃくって何?」

 

 

ってな具合で。

 

名前は伏せておきますが、ここのとこ、恋の悩みが多いんだそうで、その流れで「執着」という言葉にぶちあたったものと思われます(笑)

 

 

本人曰く、

 

「漢字を見つめてみても、辞書を引いてもよくわかんなかったんで(笑)」

 

あーはん。

 

 

ここのところ、お坊さんや、仏門で修行をされた方の話を聞くことが多く、その方々の言葉をお借りして、このように回答したのでした。

 

 

***

 

まずですね、基本的な前提として、

 

諸行無常 しょぎょうむじょう

諸法無我 しょほうむが

 

という話がありましてね、

 

 

諸行無常とは、
「すべては移ろい変わっていく」こと

 

 

諸法無我とは、
「すべては思い通りにならない」こと

 

 

これは、基本中の基本で、すべてのベースになる考え方でして、

 

ここが、ゼロのラインなんです。

 

 

つまり、

 

この世のすべてのものは、移り変わっていく流動的なものであり、自分の思い通りになることはない

 

というのが、ニュートラルな状態ということですね。

 

 

そうすると、

 

自分ではどうしようもできないものを、どうにかしたいと思うこと

 

これが「執着」なのですね。

 

 

***

 

そんな話をさせていただきましたら、妙に納得されていましたね。

 

 

すべては流れていて、人間も流れの中で生きているのだから、

 

流れに逆らうな

自分の我に執着するな

 

ということでしょうかね♪(´ε` )

 

 

 

この「執着」という文字・・・

 

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ずっと見てると、不思議な感じがしてきますね。

 

 

 

 

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コウ ガン・・

 

を、

 

着る!!!!?

 

 

 

 

 

ハイ。。。

 

もしお悩みなどありましたら、「ミズノのお悩み相談室」までどうぞ(^^)v

キラキラプリキュアアラモードの変身シーンはものすごく深いぞ。人生のヒントが隠されている!

どうも、ゆるいニーチェ「ゆるニーチェ」ことミズノケイスケです(、`)ノ

 

娘が4さいなんです。

 

 

も・ちん!

 

 

見てますよ。

 

 

プリキュア?

 

そう、魔法つかいプリキュアの途中から参戦して、今は、キラキラプリキュアアラモードですよね。

 

 

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レッツ・ラ・まぜまぜ♪

 

 

娘といっしょになって、おどりますよ。

 

あ、ぼく、わりとダンシングするの好きなんです。

 

 

 

このキラキラプリキュアアラモード、子ども向けのアニメだって、バカにできないんですよ。深いんです。

 

 

心理学&哲学系デザイナーは(あ、ぼくのことです)、キラキラプリキュアアラモードの変身シーンを観察していたら、すごい発見をしたんです。

 

 

人生をより良く生きるヒントが隠されていたんです!

 

 

どういうことかといいますと・・

 

まずは、キュアホイップの変身シーンを見てみましょう。

 

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うさみいちかちゃんですね。

 

主役でセンターである彼女、変身シーンの合言葉は、「元気」と「笑顔」をレッツ・ラ・まぜまぜ♪

 

 

これが、何を意味しているかというと、「元気は笑顔がなければ輝けない」という真理を表しているのだと、心理学&哲学系デザイナーは(あ、ぼくのことですよ)汲み取ったわけです。

 

つまり、「元気」が取り柄という人は、人生に「笑顔」をプラスすることで輝きはじめます。逆に、ただ元気なだけでは、ただのうるさい人になってしまいますね。

 

ほら、カフェのチェーン店で、「先にぃ、席の確保をぉ、お願いしまぁーす!」ってデカイ声で言う定員さんいるじゃないですか?声が大きいのはいいんですけど、笑顔がなければ、ただの感じ悪い人ですもんね。

 

 

次。

 

キュアカスタードの変身シーンです。

 

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ありすがわひまりちゃん。

 

彼女は、わたくし的に、ひじょーに共感してしまうキャラクターです。

 

彼女は、「知性」と「勇気」をレッツ・ラ・まぜまぜ♪します。

 

 

ハイ!そこ!そうなんです!

 

知性というのは、勇気をもたなければ役に立たないのです、残念ながら。(これは、身をもって実感している!)

 

つまり、知性というのは、頭の中だけで完結してしまいがちで、「これって、こうすれば、もっといいのに、もう!みんなバカなんだから〜」などと思っても、それを口にださなければ意味がありません。勇気をふりしぼって行動すること。

 

はい、数年前の自分に言ってやりたいものです。

 

 

次。

 

キュアジェラート。彼女はロックシンガーです。

 

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たてがみあおいちゃんです。

 

やはりロック出身なだけあって、彼女は「自由」と「情熱」をレッツ・ラ・まぜまぜ♪します。

 

「自由」、とても聞こえのいい言葉です。自由な生き方を求めることが、ロックな生き方であると言ってもいいでしょう。ただ、「自由」の中に「情熱」がともなわなければ、ただのフラフラしている人になり下がってしまいます。

 

はい、自由を求める人は、同時に「情熱をかたむけられる何か」を見つけましょう。こちらも、ああ、数年前の自分には、耳が痛いです。

 

 

次。

 

キュアマカロン。

 

彼女は、美貌がウリです。ウチの娘のお気に入りナンバーワンでもあります。

 

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ことづめゆかりさんですね。

 

(ここから後のふたりは、年齢があがるので「さん」付けです)

 

 

美しいゆかりさんは、やはり「美しさ」と「ときめき」をレッツ・ラ・まぜまぜ♪します。

 

もともと美しさを持って生まれてくる女性がいます。それは、後から望んでも手に入れることのできない、類まれなる才能です。

 

しかし、何かに「ときめき」を感じていない無機質な「美しさ」など、美しさと呼べるでしょうか。美しさに精気が宿り、輝くのは、心がときめいているから。

 

美しさをもって生まれてきた好運な方、ぜひとも「ときめき」を探しましょう。

 

 

ラスツ。

 

キュアショコラ。

 

ボーイッシュだけれども、めんどうみよく、妹思いな彼女。

 

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けんじょうあきらさんです。

 

彼女は、「強さ」と「愛」をレッツ・ラ・まぜまぜ♪します。

 

 

これはわかりやすいでしょうか。愛のない強さなど、暴力でしかありません。ジャイアンを見てください、レギュラーでは自分のためだけに力を使いのび太を苦しめます。しかし、長編では、力を合わせて守るべきもののために闘っているじゃあありませんか!

 

強さを持って生まれてきた人は、守るべき相手、つまり愛する人を見つけること。これが、そのあり余る力を暴走させない唯一の方法でしょう。

 

 

 

さて、まとめますと、

 

「元気」が取り柄の人は「笑顔」になろう!
「知性」を大事にしている人は「勇気」を持とう!
「自由」を求める人は「情熱」を見つけよう!
「美しさ」を持って生まれてきた人は「ときめき」を見つけよう!
「強さ」を持っている人は「愛」する人を探そう!

 

ということになりましょうか。

 

 

ま、これが本当なのかは、ぼく自身もわかりませんが(笑)

 

こんな視点で、子ども向けのアニメを見ているヤツがいるということはおわかりいただけたでしょうか。ワタクシ、わりと、普通とは違った視点を持っていると自負しています。

 

 

ちなみに、それを示すかのように、手相は、二重感情線、知能線は生命線をまたいで、第一火星丘からはじまっています。

 

 

手相読みミズケイでした(、`)ノ ←えっ?!